人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

飾らなくてもよい幸せ

自分がどんな学校を卒業したか、どんなことをして暮らしているか、家族などの職業や肩書きは何か、まあ、そういう類のことは、全く話す必要がないし、また、聞かれることもなくって、ただ、「私自身」がどんな人間か、それも、ただ、ありのままに居て、何も…

親孝行される幸せ

若者が困りごとを相談するラジオ番組で、昔、ドリアン助川が、親孝行について答えた音声録音を聞いて、「ほんとだ」と思ったことがありました。 声の雰囲気などから、女子高校生かなあと思われる相談者に、ドリアン助川が、次のように答えます。 「あのぅ、…

ステータスに頼る不幸

前回の続きを書きますけど、再放送ドラマ「おしん」佐賀編で、お清は、おしんが、髪結いで収入を得ることを、許さないんですよね。あの、収入が多いにもかかわらずです。 私の推測ですけど、たぶん、髪結いは賤業だという感覚が、お清の気持ちにあったのでは…

肩書きや学歴の不思議

再放送ドラマ152話の「おしん」で、竜三の母お清は、いつものように、おしんから竜三にきた手紙を、破り捨てます。 そして言います。「はあ、山形さい帰ったて言うてきたけん、 いよいよ竜三のことは 諦めたて思うとったばってん、 まだこがんしつこか手…

わが子を操る魔人

再放送ドラマ「おしん」の、152話で、ちょっと心に衝撃が。 それ、母親が、息子にウソをつく場面なんです。田倉家のお清が、息子の竜三に、見合いの席に出るように急かします。 お清 :「早う支度ばせんね!」竜三 :「見合いはせんて 言うたろうが。」お…

純粋な愛の幸福

ただただ相手が幸せであるように、相手の人が喜べるように、自分はそんなふうに行動するって、相手を心から愛している人は、そういう気持ちになる思います。 さて、再放送ドラマ「おしん」の、151話なんですが、健といっしょに住んでいる女性が、おしんの…

表現できる幸せ

「生きてる」ってことは、能動的だってことですから、そうすれば、態度や行動って、自然に現れちゃいますよよね。 そして、感情や思いや行動が、そのまま出せるっていうのが幸せで、仮に、感情表現が許されないとか、思うように行動できないとしたら、人生は…

他人の人生に介入する不幸

人は、「自分の人生を生きる」ところに、喜びもあるし、幸福もあると、私は思います。 ですから、他人に惑わされる人生、他人の意見で自分の行動を決める、さらに、他人から支配されることを「受けいれる」といった生き方には、喜びが無いし、また、幸福も感…

言いたいことが言える幸せ

相手の人から、自分が好ましい人間だと思われ、心を開いてもらえて、親密に接してもらえるとしたら、こんなにうれしいことはないと、私は思います。 さて、今朝、テレビをつけましたら、映ってたのは、小学4年生が、義理の父に殺された事件でした。 そのニ…

愛される幸せ

自分が他の人から良く思われ、また、愛されるとしましたら、こんなにうれしいことはないと、私は思います。 そして、他の人から、好意を持ってもらえるとか、とても良くしてもらえることって、日常生活で、たくさんあることで、まあ、そういうの、幸せですね…

信頼される喜び

自分が誰かから、あるいはみんなから「信頼されている」っていう感覚は、幸せなものだと思います。心が温まるし、平和な安らぎを感じ、また、心地よく居られると思います。 さて、話は変わりまして、乳幼児のことなんですけど、乳幼児って、養育者のことを、…

親密な関係の幸福

人と親密な関係が持てることは、とても幸せなことだと思います。 さて、前回の続きを書きますけど、お清は、おしんの子どもの雄を、おしんから引き離して、「自分のもの」にしようとしますね。 そのことなんですけど、乳幼児の頃って、誰でもですけど、生母…

仲が良いことの幸福

人が仲良くしているのを見たら、自分もうれしくなるというのが、心の健全な人間だと思います。 そして自分もまた、その人たちと、仲良くなって、みんなと和やかに、楽しく過ごすことができるようだと、ほんとに幸せだと思います。 ですから、たとえば、お母…

隠れ虐待

再放送ドラマ「おしん」の佐賀編、 おしんにとって、お清とは、自分を攻撃し、虐待する人間です。つまり、いっしょにいると、「安心する」という人とは、正反対の人間ですよね。 ですから、おしんはお清に対して、常に緊張し、警戒しなければならない、「危…

「許す」ので実現する

この二、三日、急に涼しくなりまして、「夏の疲れが出た」・・・のかどうか、何もしないで、怠けていたくて、その気持ちに「すなおに従って」、いつもならすごく意欲が出ることも、「全くしないで」放っておきました。 いいんじゃないですか、三年寝太郎とい…

がまんの限界

再放送ドラマおしんの佐賀編で、むごい虐待を受け続けながらも、必死に耐えて滅私奉公する姿を、毎日毎日見るのがつらくて、おしんよりも私のほうが、精神的に参っちゃいましたけど、まあ、確かにねえ、ひどい扱いを受けたとしても、がまんすることもあれば…

環境の影響は絶大

日々の私が楽しく過ごせるのは、喜ばしい人間関係のおかげだと、ほんとに感謝、感謝です。 なぜかって言いますと、昨日は、再放送連続ドラマ「おしん」の142話で、おしんは2番目の子を、生むんですけど、その状況が、悲惨の極みだし、赤ちゃんは死ぬし、…

自分の幸せが他人の幸せ

自分が毎日楽しく居られるってこと、そして、自分が幸せだってことは、「他の人のためになる」んだと、「おしん」を見て思いました。 連続ドラマ「おしん」の佐賀編を、私は「見てられなく」なりまして、最近は、放送を録画しておいて、一日分の放送を「何回…

尊重してもらえる幸せ

自分が他の人から、「尊重して扱ってもらえる」としたら、こんな幸せなことはないと思います。 それで、私ももちろんですけど、人は誰だって、相手の人から見ればですね、その相手に都合の良い点だけ持ってるとは、とても言えませんね。 例えば私の容姿容貌…

人と融和できない不幸

人と仲良くできて、和やかに、そして、いっしょに楽しく過ごせるってことは、とても幸せなことだと思います。 ところが、世の中には、他の人と「仲良くできない人」って、いると思います。 連続ドラマ「おしん」の再放送で、佐賀編を見てますと、おしんに限…

喜びの人間関係

自分が「したい」ことをする、それは、すごく幸福なことですね。たとえそれが、他人から見れば、「何それ?」って、見向きもされないようなことでも。 私にも「好きなこと」がありまして、今は何とか、好きなことが続けられ、とてもうれしいし、幸福ですけど…

表現できることの幸せ

日本国憲法に「表現の自由」が記されてますけど、今日はそういう社会的な話ではなく、人と人との個人的な関係での、「表現の自由」みたいなことを、ちょっと書いてみたいと思います。 それで、「表現の自由」は、確かに、憲法で保障されてるんですけどね、で…

奴隷の道を選ぶ不幸

TV連続ドラマ「おしん」の佐賀編、懐妊してる上に右手が不自由になった、「弱り目に祟り目」のおしんに対して、姑の「いじめ」がさらにエスカレート、 ・ ・ ・ するわけですけど、相手が弱れば「いじめやすくなる」し、さらに打撃が大きくなるわけですか…

虐待されて生きる不幸

「この手であなたを 殺してやりたかった。 地獄で火に焼かれ、 苦しむがいいわ」このセリフは、スペインのTVドラマ、「イサベル」のワンシーンです。 私は、「恨みの強さ」ということを、考えてしまいました。 場面は、ポルトガル王ジョアン2世が、臨終の…

全面的に信頼されたい

前々回と前回の続きを書きますが、私は、他の人から、「全面的に信頼される」としたら、すごくうれしいし、喜びだし、ほんとに幸福を感じますね。 でも、そういうことって、現実にあります?・ ・ ・ もちろんありますよね、周囲の人と、信頼できる人間関係…

信頼される喜びと幸せ

昨日は、信頼できる人であれば、その人に「自分をゆだねることができる」ってことを書いたんですけど、その逆の立場で、自分がですね、誰かから「全面的に信頼される」ってことを考えてみましたら、それ、ものすごく幸福なことだと、私は感じるんですけど、…

信頼できる幸せ

再放送中のドラマ「おしん」ですけど、おしんがあんまりひどい仕打ちを受け、ですから私は、最近、「見てられなく」なりまして、登場人物の佐和だって、ほんとにもう、むごい扱いを受けてますよね。 だからこそ、よけい思うわけですが、人が信頼できる ・ ・…

孫を奪う不幸な祖母

世の中には、自分がひどいめにあわされないため、他人の言うがままになる人がいます。 反対から言えば、欲しいものを得るため、他人を思いどおりに操り、しかも、その人から奪うだけ奪う人もいます。 昨日書きましたけど、ヘンデルのオペラ「リナルド」で、…

好意を持たれる幸せ

テレビの「世界ふれあい街歩き」、ザルツブルク編の中に、橋の下で空中アクロバットを楽しむ女性のグループが映ってました。 そのうちの一人は、アルゼンチン出身のお嬢さんで、オペラ歌手だそうですけど、テレビスタッフの要望で、もちろん伴奏も何もないん…