人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

言いたいことが言える幸せ

相手の人から、
自分が好ましい人間だと思われ、
心を開いてもらえて、
親密に接してもらえるとしたら、
こんなにうれしいことはないと、
私は思います。

さて、今朝、テレビをつけましたら、
映ってたのは、小学4年生が、
義理の父に殺された事件でした。

そのニュースですが、警察の話では、
学校から帰宅した息子に対して、
義理の父が何かを注意したところ、
『本当の親じゃないのに』と言われ、
それで、カッとなって、
首を絞めたとか、報道してましたね。

それで今日は、私の感想を、
ちょっと書いてみたいんですけど、
なぜ「カッとなったか」と言えば、
その義理の父は、息子から、
「拒絶された」と感じて頭にきて、
その「拒絶された」感覚の強さが、
「殺人に至る」激昂状態だったと、
私は推測したことです。

あの、世の中には、親を恐れて、
完全に「自分を殺して」、
自分の「感情さえ」も、もう絶対、
表現しない子どもっていうのが、
実際に居るんですね。

親に対して、何かが「欲しい」と、
要求する子は普通の子ですけど、
親を恐怖している子というものは、
要求なんてとんでもないことで、
要求以前の、「自分の思い」とか、
さらに、自分の思い以前にですね、
自分のちょっとした「感情」さえ、
親に察知されることを警戒して、
完璧に自分の感情を殺す子って、
居るんですよね。

なぜなら、自分の素直な感情が、
「親の意に反するもの」だったら、
それこそ、
「殺されかねない」からなんです。

事件で殺されたその子ですけど、
「恐怖の父である」ということを、
「知らなかった」からこそ、
「本当の親じゃないのに」なんて、
義父の感情を逆なでし、その結果、
義父を激昂させちゃったんですね。

私の推測では、生まれた時から、
恐怖の親の下で育ってきた子は、
親が「どういう反応をするか」、
体験的に熟知してますから、
親を怒らせるようマネは、
絶対にしないと思いますね。
自分が、恐怖の、魔性の親の下で、
生き延びるためには必須ですから。

それで、世の中には、親からの、
生きていけないようにされる、
陰湿な攻撃を回避するため、
もう絶対、親には逆らわず、
親の機嫌をとり、親にへつらい、
「攻撃されないように身を守る」
悲惨極まりない生き方を選ぶ子が、
居るっていうことなんですよね。

今回の事件で殺された子は、
ほんとに気の毒ですけど、
たとえ親に殺されなくてもですね、
親からの攻撃を回避するために、
「自分を殺して」、
親の奴隷になるよりしかたない子、
そういう子の悲惨さっていうのを、
私は思うことです。