人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

自分を殺すという地獄

おしん」の124話で、
竜三の母が、おしんの態度を、
「何が気に入らんのか」って、
言ってたという話がありました。

それは、おしんの気持ちが、
ほんとにわからないってことではなく、
全くその正反対でしてね、
どうしたらおしんは打撃を受けるか、
どんなふうに攻撃したら、
おしんに痛手を与え、撃滅できるか、
そうした「おしん破壊戦略」を考え、
次々と具体的戦術を繰り出している、
虐待者、またはサイコパスの同類で、
人を「いじめて喜ぶ」という人物で、
その本性を巧みに隠蔽してますけどね、
ある程度、魔性が浸透してる人物で、
おしんを虐待している自分の戦術が、
実際にどれほど効果を上げているか、
「現実に観察できる」ことで、実は、
「どす黒い喜び」を得てるんだと、
私は、そんなふうに想像します。

そう考える理由ですけど、
私をいわれない裁判にかけた人物は、
超超吝嗇家なのに、敏腕弁護士には、
大金を惜しまずに無理な弁護を要求し、
法廷で私を攻撃してきましたけど、

その時の表情、そして、
「喜悦に満ちた」目の輝きなどを、
私は鮮明に覚えています。

妬みに狂い、くやしい相手を粉砕する、
その「どす黒い喜び」のエネルギーが、
その人を「生き生きさせていた」のを、
私は見たことでした。

その人は、自分自身のことを、

輝きに満ちた偉い人だと思っていて、
だから、自分の「意に添わない」者は、

とんでもない悪人であり、誰であれ、
他の人間は私の下にひれ伏すべきだと、
その人は考えてるようでして、だから、
その人の思いどおりにならない者は、
みんな「敵」に見えるんでしょうね、
ですから、その人の「意に反する」、

「思いどおりにならない」人間は、
存在自体を認めないってことでして、
それで、裁判に訴えても、

「言うことを聞かない人間」を、

徹底的につぶしてやろうとする情念、

それは、ものすごいものでしたね。

けれど、根拠の無い訴えだったため、
結局その人は裁判をかちとれず、逆に、
私に大金を支払うハメになりました。

まあ、裁判に訴えてでも、
自分の偉大さを世間に認めさせたいし、

すばらしい自分を喧伝したいという、

私を裁判にかけた人物と比べれば、
竜三の母は毒性が弱いですけどね。

 

さて、そんな相手から攻撃された場合、
「無難に済まそう」とするならば、

権威者でもある相手の

「言いなり」になって、つまり、
「自分を殺して」権威者に従属し、
さらに、自分の本心とは正反対に、
権威者を持ち上げ、誉めそやし、
ゴマをすり、粉骨砕身権威者に尽くす、
そういう態度をとればですね、
「存在することだけは許してもらえる」
・ ・ ・ ことになるかも知れません。

でもそれ、肉体的に生きていられても、
自分の心を殺すことになるんですけど。

そして、その権威者というのは、
おしんにとっては竜三の母、
私にとっては、私を裁判にかけた人、
そして一般に、世の中では、
会社の上役とか組織での目上の人、
子どもにとっては親とか養育者など、
まあ、弱い立場の人にとっての、
「自分を左右できる」立場の人で、
さあ、そういう権威者が、
自分を攻撃してくる虐待者だとか、
サイコパスだったらどうしましょう?

おしんは今後、どうなるんでしょうか、
これから再放送のドラマ展開も、
気になるところです。