人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

隠れ虐待

再放送ドラマ「おしん」の佐賀編、

おしんにとって、お清とは、
自分を攻撃し、虐待する人間です。
つまり、いっしょにいると、
「安心する」という人とは、
正反対の人間ですよね。

ですから、おしんはお清に対して、
常に緊張し、警戒しなければならない、
「危険人物」だったと思います。

それで、おしんにとって、
お清との関係も含めて、
田倉家での毎日っていうのは、
兵士がたった一人、
敵地を行くようなものだったと、
私は思います。

さて、お清は、おしんに対して、
身体的暴力行為なんて皆無です。
じゃあ、身体的暴力が無かったから、
「いじめてない」と言えますか?
いいえ、ものすごく残酷で、
ひどいいじめかたですよね。

ところで、親や養育者の中には、
子どもに対して、
身体的暴行なんて皆無も皆無、
それどころか、
「子どもを溺愛してる」みたいに、
世間の人の目からは見えながら、
実は、子どもを残酷に虐待してる、
そういう例ってのが、世の中には、
いっぱいあるんですよね。

それで、おしんは大人ですから、
自分が「虐待されてる」ことが、
「わかる」んですけどね、
子どもの場合、
親や養育者から虐待されていても、
客観的に見てそれは虐待だって、
「わかるはずがない」場合って、

多いんですよね。

なぜなら、自分の家以外の世界を、

知らないからです。

さて、今日の「おしん」のドラマ、
おしんは田倉の家を出ますけれど、
お清は子どもを離そうとしません。

それで私の想像ですけど、
おしんの子が田倉家で育てば、
お清に虐待されると思います。

なぜそう思うかは、
次回以降に書きたいです。