人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

カムカムエ ヴリバディの感想(5)

それで、美都里の気持ですが、

息子の結婚写真に写る新妻の姿が「粗末な身なり」だと、
「恥」だと感じるわけですが、
「恥」・・・ねぇ?

そうですねえ、美都里は、
「すばらしい自分の姿」をいう「幻想」を生きているのかも?
そして、「すばらしい息子」、
「すばらしい息子の結婚相手」、
「すばらしい家族」という、
現実にはあり得ない理想をの姿、
つまりそれは「幻想」にすぎないのですが、
その幻想を追い求めながら、
しかし、「現実は幻想からほど遠い」事実があるから、
心が引き裂かれているのかも・・・

私の考えでは、
「ありのままの自分の姿」、
そして、「ありのままの周囲の人々の姿」を、
「受容できない」という心の在り方が、
彼女を不幸にしてると思うんですけどねえ。

それで、続きはまた次回に。

カムカムエヴリバディの感想(4)

前回の続きですが、それではなぜ、
美都里は安子を嫌忌したんでしょうか?

それは、「商店街の小せえ菓子屋じゃが」という美都里の言葉、
そして、安子が稔と結婚する時の美都里の言葉、
「私が嫁入りするときに雉真の母からいただいたものです。
粗末な身なりで婚礼の写真に収められたら恥じゃからね」、
・・・と言って美都里は、髪飾りを安子に渡しますけど、
そういうところに表れてますね。

つまり、いわゆる「世間体」が、
美都里にとっては最重要なんだろうと推測した私です。

それで次回は、
世間体にこだわる不幸ということ、
書いてみたいと思います。

カムカムエヴリバディの感想(3)

前回、「対立する人間関係」って書きましたけど、
稔の母である美都里は、安子のことを、
「商店街の小せえ菓子屋じゃが」と言って、
稔と安子の仲を裂こうとしたんですよね。

もちろん、稔と安子の結婚には大反対だし、
結婚後も、稔の戦死を知ると、
安子を雉真家から追い出そうとするんですね。

だから、安子にとって美都里との関係は、
耐えがたいものだったと思います。
そうですねえ、たとえて言えば、
安子が蛙、美都里が蛇という関係でしょうか。

「蛇に睨まれた状態で毎日一緒に暮らす」なんて、
私だったら・・・耐えられません。

続きは次回に。

カムカムエヴリバディの感想(2)

最初のヒロイン、安子ですけど、
彼女には、幸せな時期が二つあったと思います。
一つは、大好きな稔と結婚して、
いっしょに暮らした日々。
二つめは、るいと二人で過ごした日々です。

両方とも、
「大好きな人といっしょに暮らす」ことができた時期で、
私は、そういうのが幸福だと思うことです。

そして、その反対にですね、
「対立する人間関係」の中で暮らさなければならないとしたら、
とても不幸だと思いますけど、そのことについてはまた次回に。

カムカムエヴリバディの感想(1)

放送中のドラマ「カムカムエヴリバディ」で、
ヒロインのるいは、
世の中の一般的見方ではダメ人間のような錠一郎を、
「そのまま受容」する態度でして、
その「受容」がすばらしいと、私は思っています。

結婚後も、働かないで日を過ごす錠一郎を、
るいは咎めたり非難したりしないんですね。
るいのような人物を登場させたということで、
このテレビドラマには価値があると、私は思います。

そうですねえ、人は無意識のうちに、
妻だったら、夫が「自分のために」役立つことを願ったり、
夫だったら、妻が「自分のために」役立つことを願う
・・・ってこと、まあ、普通にあるだろうなあと思います。

でも、そういう願望は願望として、
もっと考えなければならないものは何かってことを、
次回に書いてみたいと思います。

遠藤周作を読んで(最終回)

加藤宗哉著「遠藤周作」について再び書きますが、
おおよそ次のような文があります。
__________________

母親が良心で、息子が悪、あるいは愚
――という図式がこの小説家の人生には
変わることのない意識としてあった。
母から監視され、怖れ、
それでも叛逆して時に悪事をはたらく。
そして後悔し、赦されたい、と願う。
__________________

さて、前回は遠藤周作の話題から離れ、
カムカムエヴリバディに登場する一子(ベリーさん)が、
実らなかった恋の相手(錠一郎)を助け、
錠一郎の恋人で、その後妻となったるいを助けたことを書きました。
「恋敵だった女性を援助する」って、
一子は心底、錠一郎の幸せを願っているんだと思ったことです。

それで次の話ですが、
遠藤周作と母の心理的関係を見ますと、
母親が良心であり、息子を監視するという立場、
息子は悪、あるいは愚であり、
母を怖れ、叛逆し、時に悪事をはたらき、
後悔し、赦されたいと願う立場
・・・ということで、そういうの、私の目からは、
「不健全な関係」に見えるんですけど。

さて、遠藤周作の母は脳溢血で世を去ったのですが、
加藤宗哉はその後の遠藤周作について、
こんなふうに書いています。
「母に赦しを乞いつづける小説家としての人生を、
一枚の写真をケースに入れなおして歩みはじめ、
やがて母親の月命日と同じ日に人生をおえる。」

その文を読んで私はびっくりです。
それほどまでに遠藤周作の母は、
息子に深い影響を与えていたのか!・・・と。

それで、遠藤周作の話題はこれまでとし、次回は、
「そのままの相手の姿」を受容することについて、
書いてみたいと思います。

失恋した相手を援助

遠藤周作を読んで」の第3回に、
「相手を大切にするのが幸福の出発点」と題して、
バレエ「ラ・バヤデール」のことを書きましたけど、
ニキヤを好きになってしまった大僧正は、結局、
「ニキヤの幸せを願う」行動はできませんでした。

遠藤周作「初恋」の主人公も、
激しく恋している少女を、
結局、痛めつけちゃうんですよね・・・

さて、放送中のドラマ「カムカムエヴリバディ」で、
一子(ベリーさん)は、自分の恋が実らなかったのに、
恋人だった錠一郎を助けますし、
恋敵だったるいを、ものすごく援助するんですよね。
このテレビドラマ、
一子のような人物を登場させたことがすばらしいです。

観音さまって、一子のようなのかなあ?
(観音さまって何だかよくわからずに書いてます。)