人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

肩書きに惑わされない(5)

前回は「肩書きの有効性」ってこと、
書きましたけど、でも、
肩書きには悪い副作用があります。

それは、「肩書き」の中に、
自分が埋没する危険性なんですね。
つまり、肩書きを前面に出せば出すほど、
「自分自身」が消えちゃうってことでして、
詳しくは次回に書きたいと思います。

あの、
「自分自身でいる」っていうのが幸せなことでして、
だから、
相手の人もまた、
「その人自身でいる」ことが幸せで、
「このような私」が、
「そのままの姿のあなた」と仲良く交流できること、
それこそが人間関係の幸せな姿だと、
私は思うんですね。

肩書きに惑わされない(4)

今日は「肩書きの利用」ということを書きますが、
暴力団の組員って、
組織の上部にお金を収めるんだそうですね。

・・・つまり、会社勤務とは違うわけで、
会社員なら会社で働いて賃金をもらいますが、
暴力団組員というのは、
一種の「個人事業主」みたいなもので、
所属する暴力団から給料をもらうわけじゃなく、
その反対に、
暴力団組織に「金を払う」ようですけど、
じゃあ、なぜ金を払うかと言えば、
「組員である」という、
いわば「肩書き」を使わせてもらうためであって、
まあ、「肩書き使用料」みたいなものでしょうか、
素人考えでは?

それでは、なぜそんな肩書きが必要かと言えば、
暴力団の一員であるという肩書きに物を言わせて、
その人の個人的な威力では威圧できない相手でも、
暴力団の威力」を笠に着て屈服させるという、
まあ、そんな図式でしょうかネ。

私は、世の中のそういう仕組み・・・というか、
「しくみ」というのは変な表現かもしれませんけど、
そういう図式そのものが悪いとは思いません。

なぜなら、日本舞踊で〇〇流の名取だとか、
茶道で△△流の免状を持っているとか、
そういうのだって全部、
「同じ図式」だと思うからです。

それで、今日私が言いたいことは、
「自分自身の立ち位置」を明確に示し、
客観的に権威づけてもらうためには、
肩書きって、
ものすごく有効なものなんだっていうことです。

たとえば、自分はこの舞台の三枚目だとか
五枚目だというような肩書きが付けば、
「その他大勢」じゃないんだってことで・・・

続きは次回にします。

肩書きに惑わされない(3)

独立行政法人日本学生支援機構」と、
その「名まえ」を聞きますと、
すばらしく立派な組織のイメージです、
私の感覚では。

さて、昨日、こんな見出しのニュースがありました。
「支援機構に返金命じる 札幌地裁判決」

記事を読みまして私が解釈したことですが、
過去に受けた奨学金の返済が滞った場合、
保証人が二人いれば、
一人の保証人の返済義務は半額なのですが、
学生支援機構は二人の保証人に、
それぞれ全額の返済を求め、
二人の保証人から受け取っていたみたいで、
それは違法だという判断が示され、
学生支援機構が不当利益を得たとして、
保証人が支払った過払い分計約139万円を、
保証人に返すように命じたみたいですね。

また、次のようなことも書いてありました
「国会における文部科学省の説明によると、
 2010~17年度の8年間に同機構が
 保証人に全額返還を請求したのは
 825件(総額約13億円)にのぼった。
 そのうち、保証人から「分別の利益」の申し立てを受け、
 同機構が応じたのは31件(総額約6000万円)
 に過ぎなかったという。」

ああ、そうなんですか!  
・・・と思いました。
保証人が二人なら、
一人当たり半額しか支払い義務がないのに、
二人の保証人にそれぞれ全額の支払いを要求し、
二人から全額を受け取ったら、
「本来、受け取るべき金額の2倍」を、
不当に受け取ることになりますよね。

だから、「不当利益」なんでしょうけど、
その不当利益の例が、それほどあったんですねえ・・・

あの、今日は、
昨日の続きを書く予定だったんですけど、
文部科学大臣指定」の機関で、
そんなことが行われていたことに驚き、
文部科学大臣指定」という肩書を
「自ら名乗っている」日本学生支援機構ですから、
文部科学大臣指定」という肩書を、
いわゆる「お墨付き」として使ったのかなあ?
・・・なんて思ってしまいました。

なお、どんな事件だったかは、昨日、
短い報道を通じて知っただけですから、
ここに書いた内容が
真実の要約だということではありません。

次回は続いて、
「肩書きの利用」ということを書いてみたいです。

肩書きに惑わされない(2)

集団をつくって役割分担すれば、
役割に応じて「〇〇の係」みたいのができて、
それで、「〇〇の係」っていうのが、
いわゆる「肩書き」ってとこでしょうネ。

それで、肩書きっていうのは、
いわば役割分担のようなもので、
「価値」とはまるで関係無いものなんですよね。

ところが、ある種の人々は、
Aの役割には価値があり、
Bの役割には価値が無い・・・みたいな、
役割に「優劣をつける」ことを行いますね。

それが問題の始まりで、そこからですね、
Aの役割を担う人間は偉く、
Bの役割にあたる人間は劣等である
・・・みたいな、
人間の価値づけというか、ランク付け起こると、
悲劇になっていくと思いますし、
そうなりますと、人と人とが分裂し、
仲たがいするようになっていくと思いますが、
続きはまた次回にしたいと思います。

あのゥ、人が不幸になっていく過程を書くのは、
気分的に良くないんですけど、
でも、しかたありません。

今は、人間のランク付けは不幸なことなんだと、
それだけを言っておきたいです。

続きは次回にします。

肩書きに惑わされない(1)

NHKテレビで兼好法師の番組を見ました。
徒然草の第86段も紹介されていて、
おもしろかったです。

その86段の現代語訳を、
「ぐうたらぼっちのブログ2」というのから、
勝手に引用させていただきます。
http://bocchibocchibocchi.blog.fc2.com/blog-entry-148.html
ぐうたらぼっち2さん、すみません。
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現代語訳

惟継中納言(平惟継)は、
風流な漢詩を書く才能に恵まれた人だ。
生涯、仏教の教えに精進していて、読経をしていたが、
三井寺の円伊僧正と同じ寺(僧房)で
修行していたことがあった。
文保期に三井寺が焼き討ちされた時、
惟継は焼き出された法師に会って、
『あなた達は今まで三井寺の法師と申していたが、
寺が焼けて無くなったので、
これからはただの法師と名乗ることになる』と言った。
これは素晴らしく優れた言葉である。
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いやあ、とってもおもしろい文章でした。
そうですね、そうですね、
「肩書き」を外して、
ただの「一人の人間」になるって、
それが大切だし、また、
喜ばしいことですね。

なぜ喜ばしいかは、
次回に書ければ・・・と思います。

今の自分を楽しむ

「気分良くいられる」って、
しみじみと「幸せなことだなあ」と思います。

それで、「今の自分」がこうしていることを、
「いいなあ」って思えるのは、
ほんとにいいですね。

あの、何か
「すばらしい自分」じゃないといけないとか、
そんなことは全くありませんで、
「このままの自分」で
気持ちが満たされているっていうのが
最高ですね。

「こういう自分」が喜ばしいのですから、
他の人についても、
「その人のようであってよい」のであって、
「あなたは〇〇でなければならない」
なんてことは要求しませんから、
したがって、仲良くもできるし、
人との交流が楽しめるんですよね。

値引き品が買えない人(9)

仲良く楽しくいられるはずなのに、
なぜか、
相手の人が気分悪くなるようなことを、
「わざわざ」言う人がいるってことで、
そういう場面を何度も見たことがあります。

また、
「どうしてそんなに
ひどく言われなくちゃなんないの!」
・・・っていうような経験を、
したこともあります。

このシリーズ、九回目ですけど、
結局、世の中には、
楽しく、喜ばしい人間関係を
築くことができないタイプの人が、
いるんじゃないかってことですね。

「他人がすること」は、
自分にはどうしようもないことですから、
対策としては、
そういう人に惑わされ、悪い影響を受けて、
自分がみじめになるようなことは、
避けることですね。

あの、値引き品を買ったら、
「稼いでいるクセに……」と、
嫌味を言われた話を紹介しましたが、
「どんな内容を語るか」は、
話をする「相手のこと」でして、
私にはどうしようもないことですね。

でも、そういう相手には、
「惑わされない」ようにするという選択は、
自分でできるわけです。
そういう話題には「関わらない」という選択も、
できるわけです。

他の人を尊重することができず、
喜ばしい人間関係をつくることができず、
相手を痛めつけて喜ぶような人は「避けて」、
楽しく、和やかに交流できる人々と、
明日もまた幸福な日をつくっていきましょう。
今日も十分、
みんなと一緒に楽しく過ごせて
幸せでしたから。