人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

遠藤周作を読んで(最終回)

加藤宗哉著「遠藤周作」について再び書きますが、
おおよそ次のような文があります。
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母親が良心で、息子が悪、あるいは愚
――という図式がこの小説家の人生には
変わることのない意識としてあった。
母から監視され、怖れ、
それでも叛逆して時に悪事をはたらく。
そして後悔し、赦されたい、と願う。
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さて、前回は遠藤周作の話題から離れ、
カムカムエヴリバディに登場する一子(ベリーさん)が、
実らなかった恋の相手(錠一郎)を助け、
錠一郎の恋人で、その後妻となったるいを助けたことを書きました。
「恋敵だった女性を援助する」って、
一子は心底、錠一郎の幸せを願っているんだと思ったことです。

それで次の話ですが、
遠藤周作と母の心理的関係を見ますと、
母親が良心であり、息子を監視するという立場、
息子は悪、あるいは愚であり、
母を怖れ、叛逆し、時に悪事をはたらき、
後悔し、赦されたいと願う立場
・・・ということで、そういうの、私の目からは、
「不健全な関係」に見えるんですけど。

さて、遠藤周作の母は脳溢血で世を去ったのですが、
加藤宗哉はその後の遠藤周作について、
こんなふうに書いています。
「母に赦しを乞いつづける小説家としての人生を、
一枚の写真をケースに入れなおして歩みはじめ、
やがて母親の月命日と同じ日に人生をおえる。」

その文を読んで私はびっくりです。
それほどまでに遠藤周作の母は、
息子に深い影響を与えていたのか!・・・と。

それで、遠藤周作の話題はこれまでとし、次回は、
「そのままの相手の姿」を受容することについて、
書いてみたいと思います。