人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

「許す」ので実現する

この二、三日、急に涼しくなりまして、
「夏の疲れが出た」・・・のかどうか、
何もしないで、怠けていたくて、
その気持ちに「すなおに従って」、
いつもならすごく意欲が出ることも、
「全くしないで」放っておきました。

いいんじゃないですか、
三年寝太郎という昔話もあるし、
それに、三年寝太郎とは違って、
立派な事業なんて何も成し遂げず、
ごくつぶしだったとしても、まあ、
それでもいいかなぁとは思います。

あの、私が「なりたくない」人間は、
人を騙したり、虐待する人間ですね。
そういう人間って、もう、
魔性だと思います、私は。

それで、立派な事業を成し遂げても、
魔人に墜ちる人生はダメだと思うし、
さえない上に無価値な人に見えても、
穢れてない心で生きられる人間には、
価値があると思います。

ところで、
再放送のドラマ「おしん」の144話、
14日の放送では、おしんが言います。
「黙って行かせてください。
 私、ここにいたら、
 ダメになってしまう。
 私でなくなってしまう。」

そして、大五郎とお清に言います。
「おとうさん、おかあさん、
 色々お世話になりました。
 今夜限り、
 お暇をいただきとうございます。
 明日、雄と二人で、
 この家を出ます。」

そのことですけど、おしんは今まで、
お清に「気に入られるため」、
自分を殺して滅私奉公してきました。
でも、それは、私に言わせれば、
おしんに対するお清の専横と加虐を、
おしんが「許してきた」
 ・ ・ ・ ってことなんですよね。

だからおしんは、もう、
ダメになりかかってたと思うんです。

でも、ついに、144話でおしんは、
自分に対する虐待を「許さない」と、
きっぱり決断しましたね。

それで、今日書きたかったことは、
自分がそれを「許す」ようなことは、
現実に生起する可能性が高いし、
自分がそれを「許さない」ならば、
それは「起こらない」可能性が高い
 ・ ・ ・ ということなんです。

続きはまた次回以降に書きたいです。