人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

他人を操りたい不幸

そうなんです、「他人を操りたい」って、
それは、魔性を持つ人の欲求なんだって、
私は、絶対そう思います。
もちろん、不幸そのものだと思います。

それで、ほんとうの幸福っていうものは、
人と人との喜ばしい関係にあるんでして、
そのことを私は確信してるんです。

また、良い人間関係でいられれば、

そこに幸福が見出せると思いまして、
そのことに同感いただけましたら、
とってもうれしい私です。

なぜなら、人と人との喜ばしい関係こそが、
「万人が幸せを得る」秘訣だと思いますし、
多くの方々が同じように思って下さって、
うれしく楽しい人間関係を、
「みんなでいっしょに築いてこう」って、
そういうことになりましたら、私は、
すごく喜びです。

さて、私は今、NHKテレビで、
昔のドラマ「おしん」の再放送を見てまして、
初めて見る私にはまるで「時代劇」ですけど、
それにしては、現代ドラマを見てるのと同じ、
不思議な「現実感」があるんです。

あのう、おしんがひどいめにあわされる、
その人間関係っていうのが、全くそのまま、
今、現代の、昨日、今日にも、
世の中に、普通に見られませんか?

もちろん、おしんの時代とは全く違い、
社会状況がまるで異質な現代社会ですけど、
「痛めつけられる」といった人間関係が、
おとといも、昨日も、また今日もですね、
社会のあちこちで、また、ニュースで、
毎日毎日、見聞されると思う私です。

ああ、どうしてこんなにも、
人が痛めつけられ、ひどいめにあわされ、
不幸に陥らなくちゃいけないの?
・ ・ ・ って、ほんとに思うことでして、
「時代が異なっても」、「人の気持ち」、
そして人の行動には共通点があるって、
そう思いましたからね、今の時点では、
人の上に立って他人を操ろうとする、
その「悪魔的な欲求」のことを、
ちょっと考えてみようと思いました。

そういうのって、楽しい人間関係を壊し、
互いが不幸に陥る大きな理由と思います。

それで、悪い人間関係を無くしたいと、
切実に思いいますけど、そのためには、
まず、そういう悪い人間関係は、
どうして発生するのかってことを、
ちょっと考えてみたいと思いました。