人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

カモにされる優しい人

私はこのブログに、
裁判の被告にされた体験と、
ゆすられた体験を書きましたけど、
私の「優しさ」とか「心の温かさ」が、
「つけこまれた」理由の一つかも?
・ ・ ・ と思っています。

ことわざにある
「人を見たら泥棒と思え」ですけど、
私は、好意を持ち信頼する人間関係が、
心地よく、幸福だと思ってますからね、
人を見たら泥棒だと思うような、
他人に対する悪い見方はしませんで、
そういう私の心の傾向が、自然に、
私の態度や雰囲気に表れていて、
悪人や魔性の人は、私のような、
簡単に狩人の獲物になるような人間を、
鋭い嗅覚で見つけることが、天才的に、
舌を巻くほど巧みなんでしょうねえ。

また、ことわざの、
「毒を持って毒を制す」ですけど、
相手がひどいことをしてくる場合、
紳士淑女的対応をしてましたなら、
「やっつけられちゃう」わけでして、
こちらも逆襲して対抗しなければ、
被害にあっておしまいになりますので、
まあ、それ、必要悪でしょうかねえ。

でも、相手の毒を制し、身を守るため、
「自分の毒」を使ったその後ですけど、
今度は自分に毒がしみこんでしまって、
自分自身が毒人間に変身してしまう
・ ・ ・ という事態は避けますね。

あの、人に対する不信や警戒、攻撃は、
「身を守る」ということでは、確かに、
「効果がある」んですけど、その反面、
優しく温かい心や、人に対する信頼感、
好意や愛情、融和する和やかな雰囲気、
そして、幸福感を失うことになるので、
私は、自分を守る為に鎧を着たり、
刀剣銃器を持つようなこと、もちろん、
鎧とか刀剣銃器は「たとえ話」で、
要するに、身を守る為に人を疑う態度、
その精神的な身構えを言ってるわけで、
こちらがですね、相手を警戒すると、
それは不思議に相手に伝わるもので、
なごやかで心地よい雰囲気が壊れます。

ですから私は、私の素地のまま、
柔和で温かい心を保持し、
他人をそんちょうし、また、

自分も尊重するという態度を、
崩すつもりはありませんが、
そのようにして生きていかれるという、
恵まれた環境に居られることに対して、
ほんとうに感謝です。

まあ、時々、魔性の人と出会い、
ひどいめにあわされることがあって、
今までの人生でも、もう、数多く、
被害を受けた私ですけど、防衛する為、
自分を魔性の人間に変える方向性は、
避けていくつもりです。
たとえ、身を守る力が弱くても・・・

その理由ですが、魔性に落ちますと、
不幸そのものだからでして、
私は、被害にあう危険性があっても、
心優しく、温かく居たいです。