人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

人間関係の幸不幸

NHKドラマ「おしん」117話に、
印象深いセリフとナレーションがありました。

その1(おしんと健の会話)
おしん:「健さん。またきっと会いましょうね。」
    「健さんにはほんとに
     色々お世話になったのに、
     何のご恩返しもできなくてね」
健:「俺、そんなつもりでは ・ ・ ・。
     こんな野郎でも、おかみさんは
     人並みにつきあってくれた。
     それが嬉しくてよ。」

その2(竜三の実家に入る時のナレーション)
(大五郎が振り返り、おしんのところまで戻り、
 おしんの背中を押して玄関に導くシーン)
おしんはなぜか足がすくんだ。
 この家でこれからどんな暮らしが始まるのか
 と思うと背筋に冷たいものが走っていた。」

まず、相手がそのようであることを好しとして、
さらに、そのような相手を尊重するということ、
具体的に言えば、おしんは、
的屋の親分である中沢健に対して、
自分を助けてくれた恩人として接してますし、
彼の人柄を良いものと認めているわけで、
渡世(稼業)としてのテキヤに、
偏見を持つ態度ではありませんから、
そこのところが立派ですね。

それで、「相手を是認することができる」、
「好意が持てる」、「相手を尊重できる」、
「いっしょにいるのが楽しい」なんてのが、
ほんとに幸福なことだと思う私です。

それに反して、竜三の母親ですが、
息子の嫁としてはもちろん、
一人の人間としても「おしん」を承認せず、
反感を持つばかりか、毛嫌いしてますけど、
嫌悪というより憎悪、そして、
激しい拒絶感情かと思います。

そして人は、自分を認めてくれて、
好意を持ってくれる人に対しては心を開き、
仲良く楽しく、喜びの人間関係が持てますけど、
自分を否定し、攻撃してくる人間に対しては、
自己防衛せざるを得なくなるのが必然でして、
そうなりますともう、人間関係が、
不幸の極に陥るわけですね。