人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

じゃま者という不幸

昨日の再放送ドラマ「おしん」の119話で、
集団の「じゃま者」ということを思いました。

竜三とおしんがいきなり東京からやってきて、
実家(清の家)に部屋を与えられ、食事をし、
竜三には夫の着物を着せてやる清でしたし、
おしんには野良着を与えるなど、早い話が、
「経済的出費」ですよね、清にとっては。

まあ、「働いてもらう」とは言っても、
「じゃま者」到来には違いないわけで、
長男の福太郎(竜三の兄)にとっては、
よけいにじゃま者になるわけです。

さて、じゃま者と言えば、広い世間には、
自分の子が「じゃま者」って親もいまして、
子どもは親に世話を焼かせますから、
当然、親としては手間がかかりますよね。
それに、着る物を与え、一番迷惑なのは、
食事を与えなければならないということで、
まあ、すごく「親の出費」になるわけで。

あの、「迷惑」と書きましたけど、
親の中には、子どもの存在が迷惑どころか、
やっかいな障害物とか災厄だと感じる親が、
少なからず、いるのが現実だと思います。

そういう親の中には、胎児のうちに、
災厄となる子を「処分」しちゃう親もいて、
でも、生まれてしまった場合はですね、
さあ、どうしましょう?

今日は、話があらぬ方向に発展しまして、
このブログのテーマである
「人間関係の喜び」とは正反対の、
悲惨な話題となってしまいましたが、
そういう現実がありますから、しかたなく、
「子どもの存在を災厄と思う親」のことも、
書くしかないかなあと思ってまして、
まあ、世の中の実態を反映しまして・・・

そして、「親の災厄」とされてきた子が、
さんざん心に傷を負い、ゆがんで育ち、
惨憺たる人生を生きのびたとしても、
ついには「人間関係の喜び」を得て、
幸福を得ることはあると思いまして、
そうですねえ、一番最初に必要なことは、
自分は「じゃまにされる存在」という、
決定的に不幸な認識を転換すること、
まあ、それは必須なんでしょうね。

繰り返しになるかも知れませんが、
人間関係が喜べるようになるためには、
自分って、人から好意を持たれ、愛され、
大切にされる存在だという認識を得ること、
 ・ ・ ・ が必要なんですけど、
そのためには、
喜ばしい人間関係の中に入れることが、
必要になってくると思います。