人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

人は環境に適応する

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再放送ドラマ「おしん」ですが、
まず、初子の場合、3年の年季奉公で、
その3年間が合計50円、そして50円は、
「親が取ってる」わけで、彼女の行き先は、
大阪の飛田遊郭なんですが、昭和初期には、
妓楼の数が200軒以上というんですから、
「人手が欲しかった」んでしょうね。

次に、おしんのことですが、おしんは、
最初に材木問屋、次に酒田の加賀屋と、
年季奉公を2か所で行った後、
実家に帰ってくるんですけど、父親は、
さらに、3番目の奉公先に行けと言います。

おしんの奉公先ば世話してくれる
 勝次さんだ。山形や米沢では
 一番顔が広いそうだから。」と言って、
勝次を紹介します。

勝次はおしんを見て品定めを行い、
 「飛び切りええとこ世話するがら。」
と言います。

その奉公先というのは、町で一、二を争う
料理屋だそうですが、おしんは断ります。
「男の人の機嫌は取れねえ」と ・ ・ ・

すると、勝次は言います。
 「ただ酒の相手すればええんだ、うん。
 掃除や水仕事で、手、汚すこともねえ。
 きれいな着物着て、
 楽して金取れるんだがらぁ~、
 エッヘッヘ。
 俺の世話した子でよ、客に気に入られて
 一晩の心付けだけでも10円は
 軽く稼ぐのがいるんだからぁ。
 年季の前金など目でねんだから。」

それで、父の言葉は次のようです。
 「勝次さんは、お前の器量ば見込んで、
 こだなええ話、持って来てくれたんだから、
 ありがでえと思わねど。」

また、父親の次の言葉がすごいと思います。
 「普通の奉公して、なんぼくれるんだ?
 お前だって、このうちの人間だら、
 少しはうちのこと、考えてくれてもいいべ。
 長男だって、庄治一人頑張ったって
 田んぼだけでは追っつかねえんだ。
 庄治もそろそろ、嫁もらわなんねえ年だ。
 他の者が助けてやらねえと
 かわいそうでねえが。」

すると、勝次が言います。
 「お前がうんと言ってくれたら、助かるんだ。
 たった3年の年季でねえが。
 それからでも、なんぼでも嫁さ行けるべ。
 心がけ次第で、ええ婿さん
 見つかるかも知んねえぞォ~。
 やっぱし俺が世話した子でよ、
 おっきな店のせがれに見込まれて、
 玉の輿さぁ乗ったのがいるからな。
 行ってくれるんだな?」

さて、その勝次のことについてなんですが、
結核でまもなく死ぬことになる姉が、
おしんと二人きりになった時、
次のように言います。
 「おしん、今の男の口車になど、乗るなよ。
 どうせろくでもねえ話持ってきたんだべ。」

おしん:「姉ちゃん、あの男さ、
 知ってるのが?」

姉:「よく製糸工場さ来てたんだ。
 仕事がきついがら辞めたがってた女工達さ
 『ええ働き口ある』ってだまして
 女郎に売り飛ばしたり。
 おしん。死んでもあだな男、
 相手にするなよ。」

さて、その姉ですけど、
彼女もまた奉公に出され、彼女の場合は、
製糸工場で働くうちに肺結核に罹り、
治療を受けさせてもらえず工場を追い出され、
実家に帰っても、看病などしてもらえず、
納屋に放置されて死ぬのを待つ身なんですね。
家計を助ける為に奉公に出され、
親に収入を得させるばかりで、彼女自身は、
親からめんどうをみてもらえず、
病気になれば「じゃま者」として、
捨て置かれる身なんですよね。

まあ、そんなわけで、初子もおしんも、
そしておしんの姉もですけど、親がですね、
「金を得る」ための「道具」になってますね、
子として親から慈しんでもらえるどころか、
人間扱いされないで「売り物」になってます。

あの、「他人の子」を、
金を得るための道具として使うことって、
ヤクザや暴力団だったら、
そういうことをするでしょうね、
でも、犯罪行為なんですね、それは。

でも、「親」が同じようなことをした場合、
世間では、「見過ごされている」わけです。

さて、人間というものは、
「環境に順応して」生きるというか、
環境の適合するように
「自分自身をつくっていく」んだと、
私は考えています、まあ、つまり、
環境に対する適応ですね。

それで、お初、おしんおしんの姉、
その3人とも、共通点は、
他者(彼女らの場合は親)の命令に服し、
「自分自身を殺し」、
「自分を犠牲にして」ですね、
「親の言うとおり」のことを行う、
いわば、「奴隷の道」を選ぶしか、
人生の選択肢が無い・・・というか、
そうしなければ「生きられない」という、
厳しい環境に居るわけですね。

まあ、そんな意味で、今日の標題を
「人は環境に適応する」としました。

それで、悪い環境、不幸な環境であれば、
人は、不幸な人生を選ばざるを得ないし、
自分自身が他者から受けいれられ、
好感を持ってもらうことができ、
愛される人間関係の環境にあって、
他者から良くしてもらうことができれば、
人は「自分自身を発揮」することができ、
主体的に、幸福に生きることができると、
私は、つくづく、そんなふうに思います。

そして次回は、いよいよ、
初子の「みずごり」の話に入りたいと、
今のところは、思っています。