人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

助けを奪い取るだけの人

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前回は、人を「助ける」ことって、
とても良いことだと書きましたけど、
「助けた相手」によって、
災難が降りかかることもありますから、
世の中って、なかなか難しい面もあります。

さて、昨日までのニュースですけど、
レバノンに脱出したカルロス・ゴーンを、
イスタンブールの空港で「助けた」として、
プライベートジェットのパイロットや、
航空会社の幹部が起訴されたそうですけど、
「助けられた」側のゴーン氏は、
「助けてくれた」人々に対して、
誠意とか感謝の態度を取るものでしょうか、
あの、イスタンブールの空港に限らず、
日本国内、レバノンへの密航経路、そして、
レバノンでの援助者たちに対してですね。

世の中には、「助けられる」恩恵だけ受けて、
「助けてくれた相手」を、
ひどいめにあわせるような人っていうのが、
実際に、いるってことで、もちろんその話、
カルロス・ゴーンとは全く無関係なんですが、
例えば、親が子どもに対して、あの、
「子どもが親に助けを求める」んじゃなく、
親のほうが、子どもに一方的に助けを求め、
親自身は子どもに「助けてもらいながら」、
子どもに対しては犠牲を強い続けるなんて、
ウソのようですけど、ホントにある話で、
再放送ドラマ「おしん」でも描かれてますが、
おしんの姉も奉公に出され、おしん自身は、
二度奉公に出された後、三度目として、
米沢の料理屋に奉公に行けと言われるんです。
でも、実態は「女郎にさせられる」わけで、
その代償は父親が取るんですから、結局、
娘を身売りさせて、金は親が取るんですね。

ドラマの登場人物、初子の場合も同じで、
初子は飛田遊郭に下女奉公に行くんですけど、
「下女奉公」と称するのは「表向き」の表現、
実態は、年齢がくれば女郎にさせられるわけで、
初子が身売りする代金は親が受け取りますから、
要するに「人身売買」ですね。

さて、おしんの姉の場合、職場で肺結核になり、
家に帰るのですが治療してもらえないどころか、
物置小屋に使ってる場所に寝せられ、
食事も満足に与えられず、死んでいきますね。

さて、現代ではそんなことがありませんけど、
「親が子どもを利用する」っていうことは、
世の中に、たくさん見られると思います。

たとえば、子どもが、
「親を輝かせる役割」を担わされる場合って、
まあ、多いんじゃないでしょうか。
例としては、学力、スポーツ、芸事その他で、
学校で優秀さが「目立つ」子どもに仕立てて、
親が子どもを「自慢できるようにする」、
あの、それって、要するに、親自身がですね、
「自分は立派な人間だ」ってことを、
よその子の親たちに誇示したい為に、
親自身が努力して立派な人になるんじゃなく、
「子どもが粉骨砕身、わが身に鞭打って」
親のために「必死にがんばる」ってことで、
子どもに成果を上げさせて、
その「成果」は「親が奪う」という図式です。

そして、子どもが「成果を上げれば」、
親は「もっと、もっと」と要求を増強させ、
まあ「とめどない」って実態があるかなあと、
私は思います。

そうなると、子どものほうは、
たまったものではありません、
燃え尽き症候群になったり、心身を壊したり、
最後は若年にして廃人とか、自殺とか・ ・ ・

今日は、ひどい話を書いてしまいましたが、
添付写真は凋落していく葉でして、
晩秋や冬に凋落するのは自然の成り行きですが、
そうじゃない場合だと、悲惨のきわみですね。

結局、「良い人間関係」でいられるってことが、
すごく幸福なことだと思いますし、
その反対に、「相手を犠牲にして奪う」とか、
「他人の犠牲になって奪われる」人間関係は、
もう、絶対ダメで、そういう人間関係なら、
奪うほうも、奪われるほうも、地獄ですね。