人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

都合の良い存在

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7日のブログに、
「自ら隷属していく人 」という題で、
初子のことを書きましたが、
今日は、その続きです。

おしんの家に来た初子を見てまして、
私がすごく感じましたことは、
初子って、
「何と便利な存在だろうか!」
ってことでした。

そのことをよく考えてみますと、
すごく重大な問題が内在していると、
強く感じましたし、このことは、
どうしても「書かなくちゃ」って、
ほんとに思ったことでした。

どういうことかと言いますと、
最も大切なポイントは、おしんも、
おしんの家の誰もが、初子に対して、
何かをするようにお願いしてないし、
要求がましい態度も見せてないし、
当然、命令なんて、してはいません。

それなのに初子は、自主的に、
「自ら進んで」お茶を淹れ、
台所仕事をし、その翌日には、
「誰よりも早く起床して」、
朝餉の用意をしてしまうんです。

あの、誰も「頼んでいない」のに、
初子が「自主的に」しちゃうんですが、
実は実は、本心ではですね、
「誰かがやってくれたら助かる」仕事、
「自分じゃなく」、誰か、
「してくれる人がいないかなあ」って、
心の内では思っちゃう労務でして、
でも、他人に「してもらう」ためには、
代償が必要ですよね、例えば賃金とか。

でも、でも、初子は頼まれてないのに、
「自主的に」したことなんですからね、
理屈を言えば、代償を払う必要など、
「ありません」。

それで思います、初子って、まあ、
何と「都合の良い存在」なんでしょう!
「辛い労務」を「自ら引き受けて」、
「代償を求めない」・・・んですから。

あの、この続きは、そのうち書きますが、
うまく書けるかどうか、どうも、
自信がないんですけど、その理由は、
「悪魔の心情」に触れることになるかも?
・ ・ ・ って気がするからなんです。