人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

特攻に「志願した」の?

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以前、初子のことを書いたんですが、
今日は、戦争末期の特攻隊のことから、

話を始めさせていたがきます。

あの、テレビなんかで何度も見た感想では、
「特攻に行く」という「志願」のことで、
ほんとに「本心からの」志願なの?
・ ・ ・ って疑問があるんですね、私。

ごめんなさい、ごめんなさい、私の、
ほんとに「勝手な想像」を言えばですね、
特攻を「志願しない」場合、
「まずいことになる」って恐怖があって、
だからこそ、「志願する」というふうに、
「言わざるを得ない」情況だったのでは?
と思うんです。

それで、「ごめんなさい」と書いたのは、
ちょっと理由がありまして、
本心から特攻を志願した人がいて、
その人からですね、
「特攻の真心を信じないのか!」という、
お叱りを受けるという恐怖であり、

まあ、それよりもですね、
さらに強い恐怖がありまして、それは、

戦争肯定派の一部の人々から、
「お国のために散華した勇士を貶めるのか」
とリンチされるみたいな、
そういう恐怖なんですよね、あの、今の日本で、
ブログにこんなことを書いたからといって、
私が攻撃されることはないでしょうけど、
でも、潜在的恐怖は、無いとは言えません。

それで、初子のことですけど、初子って、
自分の家では親たちに隷属して労務に服し、
家を離れたら、奉公先では無償で勤労奉仕し、
要するに「他人の利益」のために、
「自らを犠牲にして」働く労働力でなければ、
生きることを許されない存在だということを、
彼女自身、身にしみて認識させられていて、
それゆえ、初子は「生きのびるため」に、
自らを「奴隷」とする行動様式しか、
選択できない情況に追い込まれていたと、
私は思います。

まあ、続きは次回に書きたいですが、書くのが、
とっても心苦しく、暗澹たる思いでして・・・