人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

言われたことに左右され

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「言われたことに左右される」って、
大いにあることだと思いました。
前回、「おしん」の登場人物、
貞吉、雄、仁の三人が、
「お国のために」戦う気持ちのこと、
書きましたけど、それって、
自分の命を犠牲にしてでもそうする
・ ・ ・ ってことなんですから、
いやあ、もう、私には想像できない、
すごいことだと思いました。

あの、私の遠い親戚にも、
少年飛行兵として南方に行き、でも、
病気になって内地送還されちゃって、
そのため、死なずに済んだ人がいて、
今は、その人は故人になりましたけど、
昔って、そんな世の中だったのかと。

そして、雄と仁の父親(竜三)は、
「少年志願兵になるように」勧める、
旗振りをしてたわけでして、だから、
世の中には、煽ったり、先導したり、
さらには、命令したりする人がいて、
そうしますと、その気になる人とか、
従う人とか、言われたとおりにする人も、
いるわけでして、だから言葉の力って、
すごいなあと思うわけですけど、でも、
それは単に「言葉の力」だけじゃなくて、
「言われたとおりにしなければ」、
「まずい情況に陥る」みたいなですね、
損得勘定とか、利害打算のような気持ち、
あるいは、言われたとおりにしなければ、
生きていけなくなるという心配みたいな、
ある種の恐怖もあるのかなあ?・・・と、
私は思うんです。

それで、心の内側の本心を押し殺して、
環境とか情況に合わせる行動に出ますが、
その結果ですね、特攻に出撃しないうち、
終戦を迎えて生きのびたような人が、
前回書いたように、冷たい視線で見られ、
非難されるってことがあったりして、
いやあ、そういう情況でしたらね、
「どうすりゃいいって言うんだい」って、
言いたくなる気持ちじゃないでしょうか?

なにしろ、特攻で「死ぬこと」を求められ、
死ぬ機会を与えられないまま生きのびたら、
今度は「死ななかった」ことを責められる、
・ ・ ・ それって、あなたは、
「死ぬべき人間だ」と、
社会から認定されるってことですよね!
あの、そういうことって「アリ」ですか?
私は、「狂ってる」と思います、人々が。

人は、やはり、温かく、やさしい心を持ち、
他人も自分も「大切にする」ことが、
すごく大切なことだと思う私です。

最後に、アンガウル島の玉砕戦から、
生還できた人の一人が、生前、
親しい人に語ったという一言を紹介します。
「僕はね、靖国神社へ行けないんだよ。
 自分だけ死に損なって
 戦友にどんな顔をしたらいいか
 申し訳なくてね。」

ああ、そうですねえ、その人に限らず、
「自分は生き残って申し訳ない」って、
そんな気持ちを持ってる生還者の人って、
多いみたいですね。

でも、「死ななかったこと」が、
「悪いことだ」って感覚を持たされる情況、
それ、極度に気の毒なことだと思います。

(添付写真に「induction」の文字が見えますけど、

それは偶然で、意図したものではありません。)