人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

好きな人と居られる幸せ

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好ましい人々がいっぱいいて、また、
好きな人といっしょに居られたり、
活動できるってことは、
ほんとに幸せなことだと思う私で、
私の感覚では、そういうことなんです。
でも、世の中、そうじゃない人も居るようで、
私の考えでは、すごく不幸な人というのは、
いつも顔を合わせるような身近な相手、
たとえば親子とか夫婦、そして家族ですけど、
そういう人間関係で「相手が嫌い」だったら、
それ、もう、すごく悲惨だと思います。
だって、いつもいっしょにいる人だったり、
縁を結んでいるから離れられない人ですから、
「嫌いなら去る」ってことが不可能ですね。
まあ、そんなわけで、子どもが嫌いな親って、
いっぱいいると思いますから、
ちょっとその話なんですけど、
養育者にしても親にしても、
子どもがうとましいし、じゃまだし、
やっかいだし、さらには、憎いし、
憎悪してる場合だって多いと思います。
でも、親の立場、養育者の立場となれば、
「世間の目」も意識しちゃうでしょうから、
もう、嫌で嫌でしょうがなくても、義務的に、
「世話してるフリ」をせざるをえないという、
困難な情況に陥ってる人もいるでしょうね。
いやあ、そういうの、ほんとに気の毒、
いや、気の毒なんてのを通り越して、
まあ、地獄を見るようですけど、
現実の世界にはそういう情況もあるわけで、
「好きな人と居られる幸せ」ってこととは、
対極の心理状態にあるんだろうと思います。
今日は、そんな悲惨なことを書いてしまい、
じゃあ、次回は何を書いたらいいの?
・ ・ ・ って、困惑してしまいますけど、
明日は明日ってことで。