人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

安心していられる幸福

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「安心していられる」情況って、
ものすごく幸せだと私は思います。

それで、悲惨な話を書きますけど、
「T4作戦」というのがあったそうで、
治癒できない患者が、
命を奪われたっていうんですけど、
1939年に、ヒトラーの命令で
当時の医療関係者が、そういうことを、
「させられた」んだそうですね。

それから2年の後、
ミュンスター司教だった人が、
次のように言ったそうです。
「行われることは、
 障碍者を救済する恵みの死ではなく、
 単なる殺害だ。
 貧しい人、病人、非生産な人、
 いてあたりまえだ。
 私たちは他者から
 生産的だと認められたときだけ 
 生きる権利があるというのか。」

その話で思い出しますのが、
再放送ドラマ「おしん」に出てくる、
「穀潰し」の言葉ですけど、実際、
ドラマでは、おしんの祖母が、
「働けなくなった」ことを理由に、
川に身投げしようとするんですよね。

それでまた、別の話を書きますけど、
ある親なんですが、
「自分は働いてる」のに、
「子どもは働かない」のだから、
自分が働いて得て得た金銭とか、
手に入れた生活必需品がですね、
子どもに「消費される」のが許せない、
あの、そういう心情の親っていうのが、
実際に、世の中には、いるんですよね。

いやあ、そうしますと、
そういう親の下で育つ子どもは、もう、
「安心して」毎日を生きるなんて、
できないと思います。

おしんの祖母は自殺を企てましたけど、
生きていく為の必需品すら、自分は、
親から与えられないと認識してる子は、
どうするんでしょうね?

まあ、話は脱線しましたけど、
相手のために「役立たない」自分だったら、
生きることそのものが許されない世界って、
どれほど恐怖の世界かと思う私です。
とにかく、「安心して生きられる」世界とは、
正反対でしょうね。

最後に、今日の「おしん」再放送ですが、
戦友の川村が言います。
「田倉候補生の最期について、
 キレイごとを言うつもりはありません。
 田倉は、餓死したんです!
 私は、負けるとわかっていて、
 ああいう地獄のようなところに、
 田倉のような前途有為な青年を送り込んだ
 軍隊というものが許せない。
 そういう残酷なことをさせる
 戦争というものが憎い。
 だから、あえて言うんです。
 田倉は、名誉の戦死などではない。
 ヘビの生殺しのように、少しずつ
 命を削りとられて殺されたんです。」

餓死した田倉雄のように、無謀な作戦で、
命を落とした日本兵って、
ものすごくたくさんいたというのが、
史実のようですね、以前、
インパール作戦のテレビ番組を見ましたが、
作戦責任者たちは「責任を取らなかった」、
・ ・ ・ ということが印象的でしたし、
同類の事例は、いっぱいあったようですね。