人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

表現できることの幸せ

日本国憲法
表現の自由」が記されてますけど、
今日はそういう社会的な話ではなく、
人と人との個人的な関係での、
表現の自由」みたいなことを、
ちょっと書いてみたいと思います。

それで、「表現の自由」は、確かに、
憲法で保障されてるんですけどね、
でも、他者の自由を侵害する場合は、
表現の自由が認められないでしょう。

さて、TVドラマ「おしん」の再放送、
佐賀編を見てますと、
おしんはもちろんのこと、
田倉家の女たちは全員、
田倉家を実効支配しているお清により、
表現の自由」を奪われてますね。
大日本帝国憲法下では、
 戸主である田倉大五郎が、名目上は、
 「家の統率者」ですけどね、
 実際にはそうなってませんよね。)

おしん」のドラマが佐賀編の今、
私はドラマ展開が見ていられなくなり、
最近、途中でスイッチを切ったりで、
ああ、でも、そういう「不幸」も見て、
世の中を考えなくちゃとも思いまして、
この文をやっとのことで書いてます。
それで、
おしんの子は田倉家で生ませないと、
お清がおしんを田倉家から出す計画、
でも、おしんは「田倉家で生む」と、
お清に宣言しますから、それって、
お清の「支配権を否定する」態度で、
まあ、要するに「宣戦布告」でして、
さてここに、お清とおしんのバトル、
お清から見れば「おしんの反逆」で、
前回はね、
相手からの攻撃を避けるために、
相手の「言うとおりになる」ことで、
「自分を殺して」相手に隷属し、
相手のご機嫌取りをしたとしても、
結局、相手からの攻撃が不可避だと、
悲惨な現実を書いたんですけど、
それでは、相手を迎え撃つ作戦なら、
どうなるかってことなんですけど、
「力の差」がある場合、勝敗は、
弱い者の一方的な負けになって、
隷属する作戦をとった場合よりも、
さらに惨めな状況に落ちるってこと、
現実には、あるのかなあ ・ ・ ・

それでよけいに思いますね。
人との関係において、
「自分自身を表現することができる」、
それって、ものすごく幸せなことだと。