人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

自分の心の不思議

再放送ドラマ「おしん」の
186回から188回まで、
私は「見ました」
 ・ ・ ・ と言いますのは、
「途中でテレビを消さないで」
見ることができた
ということなんです。

あの、「おしん」の佐賀編で、
お清からおしんがいじめられる場面、
私はもう、ドラマ展開の途中で、
何回もテレビを消したのでした、
おしんのいじめられかたがひどくて、
もう、とても、
「見ていられなかった」からです。

ところが、ですね、
186回から188回までは、
加世のストーリーだったのですが、
佳代がむごい扱いを受けるひどさは、
おしんがいじめられた以上だと、
私は思いました。

なのに、なのに、
残酷な加世の姿を見ていながら、
私は、その悲惨極まりない様子を、
「見続けることができた」んです。
つまり、
「テレビを消したりしないで」です。

後日、そのことを考えてみて、私は、
愕然としました。
それは、今まで以上に
「悲惨なシーン」だったにもかかわらず、
なぜ、私の心は、
テレビを消しちゃうほどには、
動揺しなかったのか?
ということなんです。

もし、「悲惨なシーン」という理由で、
「見ることができない」というのなら、
おしん以上に、
ひどいめにあわされている場面を、
平然と見ていられたのか?
自分の心が不可解としか、
言いようがありません。

それで私は、おしんの「佐賀編」で、
たびたびテレビを消しちゃったのには、
別の理由があると考えました。
また、それで私は、
今まで気付かなかった自分の気持ちを、
考えることができました。

さて、その内容については、
次回に書きたいと思います。