人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

「好き」と「無関心」で大差

前回の続きですけど、
おしんがひどいめにあわされるシーンで、
テレビのスイッチを切った私ですけど、
お加代がもっと残酷な場面を見ても、
ドラマを見続けることができたんですね。

最初、それが不思議だったんですけど、
よく考えてみましたら、私、
おしんのことが好きになっちゃっていて、
それに比べれば、お加代は、
ドラマの「登場人物」の一人に過ぎず、
まあ、無関心だったんだと気付きました。

それで、「気になる人」に対しては、
興味を持って接することになりまして、
気持ちがひきつけられるんですけどね、
でも、私にとって「どうでもいい他人」も、
世の中には、たくさんいるってことですね。

そうしますと、自分にとって「他の人」は、
二つに分類できることになると思います。
一つは、関心を持っちゃう「気になる人」、
もう一つは、私とは無関係な存在としての、
どうでもいい「赤の他人」です。

その場合、「気になる人」に対しては、
その人が幸せであればうれしいし、
困ってるとか苦しんでるような情況では、
「何とかならないか」って、それは真剣に、
心配りをすることになると思うんです。

でも、自分と無関係の赤の他人だったら、
その人の痛みや苦しみなんてことは、
「自分と関係ない」ことだし、
だいたい、他人の痛みや苦しみってのは、
その当人のものであって、「私には」、
他人の痛みや苦しみが体験できないので、
「知ろうともしない」ことも普通かなあ
 ・ ・ ・ と思います。
あの、私は、観音様じゃないんですから。

それで、もう一つ思ったことがあります。
現実のこの世には、他人を痛めつける人、
いじめたり、攻撃したりする人ってのが、
少なからず「いる」んですけどね、
「他人を痛めつけて平気な人」って、
相手に対して「無関心」な人じゃないか?
 ・ ・ ・ って、今、思いました。

そして、ですね、「無関心」ってことは、
その人に対して「好意や愛情が持てない」
っていうことだろうと思いました。

この続きは、また次回以降に書きたいです。