人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

喜びの人間関係

自分が「したい」ことをする、
それは、すごく幸福なことですね。
たとえそれが、他人から見れば、
「何それ?」って、
見向きもされないようなことでも。

私にも「好きなこと」がありまして、
今は何とか、好きなことが続けられ、
とてもうれしいし、幸福ですけど、
自分一人で完結する楽しみではなく、
「他の人といっしょに」、
その「いっしょに」っていうことが、
とても大切なことで、やっぱり、
人と喜びが共にできる活動のほうが、
さらに楽しいですね。

さて、昨日、たまたま、
「ポツンと一軒家」という番組を、
見てしまいました。

一軒目は、茨城県の山を入手して、
松、桜、山桜、ヤマモミジを、
合計一万本以上一人で植えて、
これからは、既存の建物を改修し、
人々に喜んでもらえる施設にしたい、
・ ・ ・ って言ってる人ですけど、
昔々に、テレビドラマの時代劇で、
殿様が盆栽を剪定してる場面を見て、
自分もそういうことがしたいと、
無性に思ったとか言ってましたね。

二軒目は、山形県にある山小屋で、
山を入手し、自ら登山道を作り、
登山道整備を手伝ってくれる仲間と、
楽しいひとときを過ごすために、
その山小屋を、宿泊もできる、
「楽しみの場所」としてるそうです。

感動したのは、「自分一人だけ」で、
自分専用の楽しみ方をするんじゃなく、
「他の人といっしょに喜びましょう」
という態度ですね。

そんなふうにして、「自分が楽しみ」、
他の人も楽しめるようにして、結局、
「みんなで楽しむ」っていうの、
全く、幸せそのものだと思います。

それと正反対なのが、
不満、怒り、恨みを他人にぶつけ、

攻撃して立場が弱い者を虐待することで、
TVドラマ再放送の「おしん」は、今日、
昔の回想シーンで始まりましたから、
その、回想シーンだけは、
「過ぎ去った昔のこと」として、
心理的抵抗が少ないものですから、
「見ることができました」けどね、
回想シーンが終わり、おしんがまた、
ひどく扱われるシーンに戻りますと、
気持が苦しく、スイッチを切りました。

その回想シーンで、圭が言います。
圭:「おばあちゃんも
   死のうと思った?」
おしん: 「おばあちゃん
   へそ曲がりだからね、
   死んだら厄介払いができたって
   さぞみんなが喜ぶだろう
   と思ったら悔しくてさ。
   『何が何でも生き抜いて
   立派に子供を産んでみせるぞ!』。
   死んだら負けだもんね。
   それに雄がいたから。
   子供を道連れにすることだけは
   できなかったし、まして
   雄を置いて死ぬなんて
   考えてもみなかったよ。
   みんなに冷たくされて
   ひとりりぼっちだったけど、
   その一念で頑張った。
   無事に子どもさえ産んだら、
   いつかきっと田倉の家の嫁として
   認めてもらえるようになると
   信じてさ」

おしんのセリフの中に、
「死んだら厄介払いができたって
さぞみんなが喜ぶだろう」って言葉、
ありますけど、そういう人間関係って、
不幸の極致、地獄の人間関係ですね。