人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

愛される体験で愛せる心が

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自分は他の人々から
「好意を持ってもらえてる」し、
「良くしてもらえてる」っていう感覚、
そういうの、
自分では全く「自覚してない」というのが、
普通のことだ思います ・ ・ ・ けど、
無意識のうちにそういう思いを持ってることが、
ものすごく大切なことだと思うんです。

あの、他の人から愛される自分だからこそ、
だから、他の人に対しても、
好意をもって接することができるし、
人に親切な態度もできるんですよねって、
私は思います。

その反対に、どんなふうにしたら、
他の人から認めてもらうことができるかって、
心配してビクビクしてるような情況だったら、
こんなに不幸なこともないと思います。

特にですね、親に対して、
子どもがそういう気持ちを持ってる場合、
子どもが「親の歓心を得たい」ために、
親の顔色をうかがうようになってる場合は、
親子関係の不幸が極まってしまうと思います。

そして、子どもが自分の気持ちを殺して、
「親の言うとおり」にすることによって、
親の気持ちを自分に引き付けておこうと、
子どもがそういう対策をとるようになると、
子どもにとっては、家庭というものが、
実質、「地獄」になっちゃうと思います。

ところが、そういう場合でも、親のほうは、
子どもがそんな悲惨な状況にあるなんて、
全く気付いてないし、知らないし、
・ ・ ・ というより、親のほうは、
相手(子ども)を思いやる気持ちなんて、
そもそも、最初から「無い」と思いますね、
そういう状態にある親子関係の場合は。

あの、そういう情況に陥ってる場合、
同じ家の中で毎日いっしょに暮らす親子でも、
心理的には「他人」ということで、つまり、
形としては「いっしょにいる」けど、
心の交流が「無い」ってことになるし、
まあ、夫婦関係では、
「いっしょに住んでいても他人」って夫婦、
いるみたいですからね。

それで、今日の表題を
「愛される体験で愛せる心が」って
しましたけど、
そうですねえ、まず最初に、
「自分は愛される」んだっていう感覚、
それは、人にとって、
絶対必要だと思う私なんです。

そして、
他の人から好意を持ってもらえることは、
すごくうれしい私ですから、
大人の私でさえそうなんで、
ましてや子どもだったら、
一番近い人である親とか自分の家族から、
自分を認めてもらえて、好いてもらえて、
愛してもらえることを、
どれほど求めているだろうかって思いました。

世の中、子どもが虐待されるニュースが
いっぱいありますから、
そんなことを書いてみました。