人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

好かれることの幸福

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「人が好きになれる」って
とっても幸福なことで、
「うれしく」
日々を過ごすことができると思います。

でも、世の中に生きていく限り、
「嫌いな人」にであうこともあるわけで、
まあ、しょうがないことではありますが、
「嫌い」な人に対してはですね、
その人から、
自分が「どう思われてもいい」
って気持ちになるかなあってことですね。

以前、私は「単純に」考えてまして、
人は誰もが、
「自分がよく思われたい」と
念願してると考えてたんですけど、
でも、よくよく思いを巡らしますと、
「嫌いな人」からは、
「好意をもってもらえなくていい」
という気持ちだったと気づきました。

また、「嫌いな人」の気持なんか、
「わかろうとしない」っていうのも、
あたりまえのことかと思いました。

だから、極端なことを言えば、
「嫌いな人」とは「敵対関係」なんですね、
程度の多少はあったにせよ。

それで、親子関係ですけど、親の中には、
子どもが好きになれない・・・どころか、
嫌悪してる親もいるわけでして、
親(あるいは養育者)が
嫌悪する子の養育義務を負うってことは、
すごいストレスになるだろうと思います。

そういう親(や養育者)っていうのは、
「嫌いな子ども」から、
自分が「良く思われなくてもかまわない」
という気分になっても当然だと思いました。

ああ、だからこそ、子どもが嫌がり、
自分を恐怖するのを承知で、
子どもを虐げるのかなあ・・・と思いました。

もちろん「嫌いな子」なんですから、
子どもの気持ちを汲み取ろうなんて、
思うはず、ないですよね。

ところで、
親(や養育者)の気持ちがそんなふうですと、
子どもにとってはこの世が「地獄」
じゃないかと思いました。
当然、健全な心なんて育たないですし、
「ひどくされる自分」という、
「自分自身」の存在が嫌になっちゃう
かなあと思いました。

大人の私だって、
周囲の人から好意を持ってもらえて、
楽しく過ごせることを望むんですから、
ましてや、子どもだったらって
思っちゃいました。