人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

良い人間関係で心が健全に

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前回書いた初子のことですけど、
彼女、自分の家(実家)には
「帰りたくなかった」んですから、
居心地が悪かったんだろうと想像しました。
結局まあ、「安心していられる場所」では
なかったんだと思います、彼女にとっては。
でも、世の中には、
自分の家を嫌忌してるような人って
いっぱいいますからね、
初子の場合はどの程度なのかわかりませんが、
気の毒なことです。
あの、世間の人から見て、
あの家は「ひどい家だ」っていうふうには
全く見えない家であっても、
実態は地獄のような人間関係っていう場合が、
あったりするんですよねえ。
それで、たとえば子供が「親から愛され」、
「良くしてもらっている」ように見えても、
それは、はためからはそう「見えるだけ」で、
実態は、親が子供を虐待してるなんて場合が、
現実には、あるってことですね。
初子の場合は、
遊郭年季奉公に出されたんですから、
初子の親が「子ども思いの親」だとは、
世間一般に、認められないでしょうけど、
子供に良くしてやってるみたいに
「見せかける」という偽善の親がいまして、
私としては、そういう親こそ、
非常に問題だし、不幸が深いと思います。
例えば、子どもを有名な学校にやってる親、
まあ、教育熱心とでも言いましょうか、
「子どものために」いっしょうけんめいで、
お金もいっぱいかけてる ・ ・ ・ から、
「子ども思い」に見えるんでしょうけど、
実態は子どもが苦しんでるような例って、
世の中には、いっぱいあるようです。
そういう親を、子どもの立場から見た場合、
子どもの望みなど、一顧だにしないばかりか、
だいたい、子どもの気持ちなんて、
全く汲んでやらない親だったりすることも
多いかと思います。
 ・ ・ ・ というより、ですね、
子どもには子どもなりに
「その子の気持ち」というものがあるんだ
っていうこと自体、
「思ってもみない」親もいまして、つまり、
子どもを一人の人間、一顧の人格だなんて、
全く考えられない人(親)っていうのが、
広い世間には、実際に「多数」いるように、
私には思われます。
そういう親に育てられて、
自分の感情や思いを表現することは、
親に対する「反逆だ」と思い込まされてる、
気の毒な子がたくさんいるって話を
聞いたことがありますけど、
それはほんとうだと思いました。
今の世の中、「一番身近な人間関係」が、
慈愛を基盤とした人間関係とか、
心が安らげる関係ではないってことも多くて、
そういうの、すごく不幸なことだと思います。
そういう環境の人であっても、せめて、
「他人との関係」の中に、
心地よい人間関係とか、
楽しい人間関係なんかが得られるようであれば、
心が健全でいられると思うんですけどね。
私は、「健全な心」を維持するためには、
良い人間関係に恵まれることが必須なんだって、
そんなふうに、いつも思っています。