人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

自ら隷属していく人

f:id:jky:20191207061645j:plain

私は「認められ」、「愛され」、そして、
「良くしてもらえる」存在だという感覚、
あの、そういう感覚って、
全く自覚もしてないし、
そんなふうに言葉で意識してるわけでなく、
ただ、非言語的に、確かにそう感じている
・ ・ ・ という形で、
心の中にあるものだと思います。

ところが、ところがですね、
そういう感覚が「無い人」がいるみたいで、
再放送ドラマ「おしん」に登場する
初子を見てもそれがわかります。

さて、初子がおしんの家に来た日に、
初子に対して、おしんが言います。

「まー、そんなこと、
 お客さまにしてしまって、
 悪かったわね、いいから。」

すると、初子は言います。
「これくらいのこといつでもしますから、
 何でも言いつけてけらっしゃい。」

あの、この会話から言えることですが、
初子は自分のことを、
完全に「召使」として自認してますよね。
 ・ ・ ・ と言うより、召使ならば、
「給与」がもらえるんですが、初子は、
給与をもらうつもりではありませんから、
要するに、自分は「奴隷」であると、
自分のことを周囲に認めさせてると言っても、
過言ではないと思います。

あまりにすごいことなので、
理解できそうにないかと思いまして、
それで私は、前回の文章を書いたんですが、
その後、毎日が多忙すぎて、
ブログを連日継続することができず、
今日になってしまいました。


さて、ドラマでは、翌日になると、
初子の奴隷ぶりが、
ますますハッキリしてきます。

初子が一泊した翌日のことです。
おしんが目を覚まして、時計を見て、
竜三に言います。
「あんた、すみません、 寝過ごしまして。
 夕べ遅かったから、朝ご飯の支度、
 間に合わないかもしれない。」

でも、初子は、誰よりも早く起きて、
台所にいたんですね。

初子 : 「おはようございます。
 よくわからねえけんど、]
 味噌汁とご飯、こしらえておきました。」

まあ、ドラマを見ていてびっくりしますが、
なぜ初子はそうするのか、
次回は、初子の心理に対する、
私の推測を書いてみたいと思います。