人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

他人を誤解するってこと

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テレビドラマ「おしん」の再放送ですが、
昨日のドラマ展開では、
初子がいなくなりました。
そして、初子の置き手紙があり、
次のようなことが書いてありました。

「母上様。
 やはり、お暇をいただくことにしました。
 私は一つの人生を生きて、
 一つの人生を終わりました。
 ほんとうに幸せでした。 
 母さんやみなさんのご恩は、
 終生忘れません。
 ちゃんとご挨拶しなければならないのですが、
 つらくてできませんでした。
 お許しください。」

仁 :「どうして初ちゃん、こんなこと。」
希望 :「雄兄さんのことが、こたえたんだよ。」
仁 :「うち出て、どこへ。」
おしん :「山形へ帰ったんだよ。
 母さん、そうしなさいって勧めたから。」
仁 :「だったら、何も、
 こんなコソコソ出て行くことないじゃないか。
 勝手だな。
 雄兄さんが帰ってこないとわかったら、
 サッサと見切りつけて。」
おしん :「何てこと言うの、
 初ちゃんの気持ちも知らないで。」
仁 :「わかっているさ。
 でもね、どんなにつらくったって、
 自分のことを考える前に、つらいの我慢して、
 母さんを助けてやろうって思うのが、
 ほんとうじゃないか。
 母さんが一人なのを承知して、
 国へ帰っちゃうなんて。」
おしん :「初ちゃんに
 何かしてもらおうと思って、
 初ちゃん引き取ったわけでも、
 育てたわけでもないよ。
 でも初ちゃん、
 田倉の家のために良くやってくれた。
 母さん、それだけで十分。」

以上の展開でしたけど、仁は、
初子のことを誤解してると、それはもう、
今後のドラマ展開を見なくても、
私にはわかります。

・ ・ ・ と言っても、初子の意図は、
現段階では「わからないまま」ですね。
しかし、仁の言うことが誤解だってことは、
もう、明らかで、このことから思いますが、
人は、「自分の心の傾向」によって、
「他人もこうだろう」と想像しますから、
たとえば自分自身が悪人なら、
他人も悪いことを企んでいると思いますし、
自分が心優しく、温かな人間なら、
他人から意に添わない扱いを受けた場合も、
相手に何か事情があったのではないか?
・ ・ ・ みたいに考えるとか、
要するに、人間って、
「自分の精神レベルで他人を判断する」と、
私は、そう思います。

あの、今回たまたま、
おしん」のドラマを例にして、
そんなことを書きましたけど、
「他の人をどう見るか」っていうことは、
つまり、「その人自身が」、
どういう人であるかってことなんですよね。

さて、明日は私、
いろいろ用事がありますから、
「明日の分」ということで、今日は、
2度目の投稿をいたしました。