人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

助けてもらえるありがたさ

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カルロス・ゴーンは、不法に、
レバノンに去ったそうですけど、
多くの人の「助け」が無ければ、
彼一人ではできなかったことでしょう。

ところで、今日は彼のこととは無関係で、
他の人が「助けてくれる」という話ですけど、
人はやはり、「誰も助けてくれない」状況では、
生きることさえ困難になるだろうと思います。

結局、「誰かに助けられて」こそ、人は、
生きることができるのであって、
突然ですが、尾崎放哉が死ぬ前の日々に、
彼を助けた南堀シゲという人が居たそうでして、
世の中には、まったく縁もゆかりもない人を、
親身になって助けたシゲさんみたいな、
観音様のような人もいれば、その反対にですね、
暴行はしないけど精神的に子どもを痛めつけ、
我が子を恐怖におびえさせる虐待親もいて、
子どものほうはオドオド、ビクビク、
激しい緊張の日々を送る中で、
もう小学生のうちから憔悴、疲弊して、
まるで老衰の人みたいになっちゃったり、
十代にして「敗残の身」を自覚するとか、
苦しみだけの日々を送るような人ってのが、
広い世間には、やっぱり、いるんですねえ。

そして、親のほうはと言いますと、
「親にとって都合の良い子」を要求し、
子どもはただひたすら「自分を殺し」て、
親の言いなりになる操り人形、まあ、それ、
奴隷と同じですけどね、そんなふうにして、
子どもを支配しちゃう親もいるようです。

まあ、そんな親子関係ですと、
子どもは親に「助けてもらえません」からね、
子どもにとっては地獄じゃないかと思います。

そして、「親が助けてくれない」世界では、
誰に助けを求めることができるでしょうか、
そういう情況に置かれている子は。

それで思いますけど、
人を助けることができるってこと、
援助できるってことは、
観音様みたいだってことで、今日は、
「助けてもらえる」ことのありがたさから、
さらに話を発展させて、
人を「助けることができる」ことについて、
ちょっと書くことができてよかったです。