人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

環境に応じた反応が人の行動

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上の添付写真はアジサイです。
11月も半ば以上過ぎたのに咲いてたので、
採ってきて、
TEKAクッキングヒーターに載せて
撮りましたけど、
「今、咲いてもねえ」って思います。

なぜなら、「季節はずれ」で、
今咲いても、どうなるものでもなく、
さて今日は、いよいよ、
初子の「みずごり」のことを、
重い筆ですけど、どうやら、
「書き始めるしかない」って感じですが、
初子の「みずごり」って、
「誰にも知られない」夜中に、
彼女一人で行われたことなので、
まあ、「他人に見てもらえない」とか、
「せっかく行ってもムダ」の場合だって、
多いと思うんですね、
アジサイが、今の季節に咲くように。

ところで、彼女の「みずごり」は、
彼女が置かれた環境に対する「反応」だと、
私は考えてるんですけど、まあ、今日は、
結論を先に書いてしまいました。

つまり、初子の「みずごり」は、
初子が「理性的に」考えた行動ではなく、
初子自身の「意思」や「考え」でもなく、
もっと単純にですね、
置かれた環境に対する「反応」だと、
私は推測するんです。

ところで、「単純」と書きましたけど、
実は、単純どころか、
「環境に対する反応」というものは、
自分でも気付けない心の深部よりもなお、
人間の行動の根源を支配するものであり、
理性による「浅薄」な判断などと比べて、
質的に異なるし、不可思議なものだと、
私は考えています。

前回のブログで、他者に隷属して、
「自分自身を殺し」、
「自分を犠牲にして」、
「親の言うとおり」のことを行う、
「奴隷の道」なんてこと書きましたが、
初子は ・ ・ ・ ですね、
いちいち命令されなくても、
自分の支配者(奉公先の主人)が、
彼女に要求する働きをするように、
「反応」するという行動様式が、
「でき上がっている」と考えます。

さて、初子は、
奉公先の主人の一人でもある、
雄の苦境を知ることになります。

そうですねえ、
初子の「みずごり」については、
次回に書くことにしまして、
その前段階としてですね、
「雄の苦境」について、
書いておきたいと思うんですが、
世の中には、一見、
幸福そうに見えるんですけど、
実は「つらい立場」とか、
ひどい現実ってものがありましてね、
だから、
「苦しみを受けなくていい」環境って、
すごく幸せなことだと思う私です。