人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

消えない旧悪

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前回に続いて、再放送ドラマ「おしん」ですけど、
今日書くのは、274回の場面です。
仁は言います。
「俺が葬式へ行ったら、
 希望だって嫌な思いをするだろうし、
 百合だって、
 ありがたくもうれしくもないだろう。」
 
そして、母のおしんに恨みを言います。
「母さんの言い方、
 何も知らない者が聞いたって、
 俺が、百合の葬式にも出られない
 仕打ちをしたっていうのは、わかるからね。
 俺としちゃあ、
 弁解のしようがありゃしないよ。
 お手上げだよ。」
 
私は思いますけど、仁の言うこと、
まあ、そのとおりでしょう。
その人の「葬式にも行けない」って、
その人に対して行った悪事の深さが、
これでわかるんじゃないでしょうか。

たとえ死んだからといっても、
昔、自分をひどいあわせた人になんか、
来てほしくないと思います、誰だって。
 
そして、世の中には、
「亡くなった人」のほうが、生前、
誰かに対してひどい仕打ちをした結果、
被害にあった人が、
かつて、自分をいじめた死者に対しては、
通夜はもちろん、
葬儀にもいかないっていうことは、
まあ、当然、そうなるだろうと思います。
 
そういうことって、親子関係でも同じで、
昨日は、
父親を殺した女性のことを書きましたけど、
たとえ殺さなくてもですね、
親からさんざんひどいめにあわされた子が、
親が亡くなった時、
通夜にも葬儀にも行かないなんてことは、
実際にあることでして、
でも、その場合、親に対する恨みから、
親を殺すまでには至らなかったことだけでも、
平和なことだと思います。
 
それで、誰かを痛めつけたとか、
ひどいめにあわせたって事実は、
もう、永久に消えないことですよね。
そして、被害者のほうには、
心に受けた傷と痛みが
「いつまでもそのまま残っている」ことって、
普通にあると思います。
 
そして、そのことによって、
被害者が一生苦しみ、悩み続けるって事例、
多いと思いますね、私は。
 
そうですねえ、被害者が救われる道、
被害者の心から痛みがなくなり、
苦しみが消え、
生きる喜びが生まれるためには、
他の人々からの好意や愛情を、
それはそれはたくさん受けることによって、
被害者の心から、
「人間に対する信頼」が生まれること
 ・ ・ ・ が必要かなあ。
それ、私の想像ですけど。