人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

ひどく扱われた心の傷

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再放送ドラマ「おしん」の273回を見ていて、
「心の傷」ということを考えてしまいました。
 
百合が、交通事故で亡くなってしまったんです。
おしんは、通夜に出かけるにあたり、
百合の死を、仁には知らせませんでした。
でも、百合の死を知った仁と妻の道子は、
通夜に行くため、
おしんのところに、喪服でやってきたのです。
 
ところが、おしんは、仁と道子に、
通夜と葬儀への出席を禁じました。
以前、仁が、
百合にひどいことをしたからです。
 
そして百合も、
仁からひどい仕打ちを受けたことで家を出て、
その後一度も、おしんや仁のいる家には、
近寄らないのです。
 
百合の心の傷はものすごく深く、しかも、
癒えてないことは明らかです。
だからこそ、おしんは、
百合を傷つけた仁が通夜や葬儀に参列しても、
百合の霊は喜ばないと思ったのですね。
 
私は、おしんの気持ちがわかりますし、
百合の霊も、
仁が来てくれることを喜ばないと思います。
 
さて、さきほど、テレビのニュースですが、
21歳の女性が父親を殺したそうでして、
「父親から手で殴られたり、物で殴られたり、
死ねと言われていた」そうです。
 
それで、彼女は警察署に出向いて、
相談していたそうですが、警視庁では、
「父親を口頭で注意していた」ということです。
 
それで、私の感想ですけど、
「口頭で注意」なんて対処法は、
解決策どころか、娘に対する攻撃の烈火に、
油を注ぐようなものだと思います。
 
この世の中、「人を傷つける」って、
星の数ほど見られることで、しかも、
むごく、ひどいことも、いっぱいあるんですね。
 
それで、被害者となり、傷つき、苦しむ人も、
何と多いことかと思います。
 
そして、ひどくされて心が傷ついた人にとって、
その傷や痛みが癒えるってことは、
ものすごく困難な事業のように思われます。
 
もちろん、「自分を傷つけた相手」に対しては、
その女性のように、
「殺す」ほどせっぱつまった気持ちになることは、
世間にたくさんの例があると思います。
 
ドラマの話に戻りますけど、仮にですね、
百合と仁が「同居せざるを得ない」状況だったら、
もちろん殺人には至りませんけど、
二人にとって、日々は、
「地獄の修羅場」になっていたことでしょう。