人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

他人の人生に介入する不幸

人は、
「自分の人生を生きる」ところに、
喜びもあるし、幸福もあると、
私は思います。

ですから、他人に惑わされる人生、
他人の意見で自分の行動を決める、
さらに、他人から支配されることを
「受けいれる」といった生き方には、
喜びが無いし、また、
幸福も感じられないと思います。

それで、さらにもっとひどい行為は、
他人の人生に介入するとか、
他人を支配することなんでして、
それは、他人を不幸に落とす上に、
そういうことをする自分自身もまた、
不幸に墜ちると思います。

さて、再放送ドラマおしんの150話、
お清は、「竜三宛の」おしんの手紙を、
封を切って読んじゃうんですよね。
そして、破り捨ててしまいます。

あの、おしんから竜三宛の手紙で、
その手紙によって、竜三の生き方、
竜三がこれからどう生きていくのか、
その方向性が左右される場合があり、
そういう意味で、お清にとっては、
息子である竜三の人生を「決める」、
重要な手紙なんですけどね、
だからこそお清は、
竜三の人生を「自分が」操ろうと、
おしんからの手紙を廃棄します。

それって、他人の人生への介入で、
人として、もう絶対、
「やってはならないこと」行為ですね。

まあ、ついでにもう一つ書きますと、
その手紙を読んで、お清が言います。

 「よう、こがんふうけたこと!
 大道で、どんどん焼きちゅうもんば
 焼いて売りよって。
 まあ、何ちゅう恥さらしんことば
 しよっとやろか!」

あの、お清はおしんのことを、
佐賀の家から追い出したかったですし、
おしんは、東京に去ってしまいました。

それで、おしんは、「東京で」、
自活の道を歩んでいるわけで、
佐賀にある夫の実家とは、もう、
何の関係も無いんですよね、
どういう職業で自活しようと・・・

それなのに、お清は、
おしんの職業にまで文句をつける、
それって、実質的に関係ない人間を、
それでも「遠隔操作」する心情で、
つまり、お清は、
自分が関係する人間を、
自分の思いどおりに動かさないと、
気がすまないんでしょうね。