人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

ステータスに頼る不幸

前回の続きを書きますけど、
再放送ドラマ「おしん」佐賀編で、
お清は、おしんが、
髪結いで収入を得ることを、
許さないんですよね。あの、
収入が多いにもかかわらずです。

私の推測ですけど、たぶん、
髪結いは賤業だという感覚が、
お清の気持ちにあったのでは?

また、おしんに対しては、
充分な食事を与えることなく、
重労働にさんざんこき使って、
長男の嫁に対しても、
家事仕事はもちろんのこと、
農作業に励ませるお清ですけど、
前回書きましたように、お清が、
三男竜三の妻に迎えたいのは、
福岡の師範学校を一番で卒業し、
小学校の先生をしてる人でして、
その嫁には農作用をさせないと、
長男の嫁に言うんですよね。

あの、長男の嫁の気持ちなんて、
「眼中にない」お清ですねえ。

そうです、お清にとっては、
「人の気持ち」や「愛情」なんて、
「どうでもいいこと」なんですね。
お清にとって一番大切なものは、
人の「ステータス」だと思います。

ところで、「人の気持ち」とか、
「愛情」を無視するっていうのは、
実は実は、自分がですね、
他の人から自分に対する好意とか、
愛情を「受けられない」ってことで、
それ、不幸の極みなんですけど、
どうして、
そういう人になっちゃうのか、
・・・そうですねえ、そういうこと、
徐々に書いていきたいと思います。

蛇足ですけど、
自分に対する人からの好意を、
「受けられる」ってこと、そして、
自分に対する他の人からの愛情を、
「受けとめられる」ってこと、
それは、ものすごい幸せであって、
また、それ以上のことを言えば、
人に好意を持てること、
人に愛情を持てるってこと、
そんなふうでしたら、
私は充分に幸せでして、それ以上、
何も、言うことはありません。