人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

拒絶する人間関係の不幸

昔のNHKテレビドラマ「おしん」、
その110話のこと、前回書きまして、
おしんは、夫、竜三の母親から、
「拒絶されている」と感じました。

さて私は、喜ばしい人間関係こそ、
幸福の源泉だと思ってまして、
ですから、相手を「拒絶する」行為は、
人間関係を悪くする原因と考えますから、
「あって欲しくない」ことなんですけど、
現実には、家庭内とか親子関係ですら、
相手を拒絶しちゃうという悲惨な光景が、
世の中にはたくさん見られると思いまして、
だから、ブログの話題にしています。
(みんなが幸せなら、書く必要ないです。)

さて、なんでも自分の思いどおりになる、
 ・ ・ ・ というなら、
何とうれしいことでしょう。

ところが実際、現実を見てみますと、
「思いどおりにいかないこと」って、
たくさんありますよね。

そこで、問いたいです。
思いどおりにならないってことは、
不幸なことなの?

答えは、「そんなことありません。」
(私の個人的な見解です。)

あの、ずいぶんそっけない答えだと、
不満に思う方がおいででしたら、
「不満から開放されてない」んだろうと、
私は想像します。

そして、幸せな人って、
「思いどおりにならないこと」が、
多少あったにせよ、
それでも喜ばしく生きられる人であって、
もちろん、耐え難い苦しみがあっても、
それでも喜べなんていう考えではなく、
ひどい苦難の境遇では、誰であっても、
幸福ではありえないんですけど、
たとえば仮に、自分の子どもが成人して、
結婚相手を選ぶ段階の時、
親としてはその相手を嫌悪するとしたら、
その親はどうするでしょう?

私が思うに、その親が「幸せな人」なら、
自分が結婚相手を嫌っていたとしても、
子どもの気持ちを大切にすると思います。

その反対に、わが子が望む結婚相手を、
「拒絶する」態度に出たとすれば、
「何の権限があって」そうするの?
 ・ ・ ・ って思っちゃいますね。

また、すでに結婚した子どもの場合、
子どもが選んだ結婚相手に対して、
「認めない」なんていうのは、もう、
人間関係や家族関係の破壊行為だと、
私は思うんですけど、続きはまた次回に。