人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

それってテレパシー?

「感じいい人だなあ、好きだなあ!」って、
たとえ、会話するほどの関係じゃなくても、
「見ただけで」素敵だなあと強く感じる人、
私には、何人もいます。

そして、特に接触が無かったとしても、
その人がいるだけで、また、
いっしょの場面にいられるだけで喜び
 ・ ・ ・ って感覚が、私にはあります。

それで、何かのきっかけで会話するとか、
何かで関るような状況になった場合、
なぜか不思議に、相手の方もまた、
私を「好いてくれてる」って感覚が、
テレパシーみたいのでハッキリあります。

さて、別の話になりますが、
「他の人」は「その人の意思」で、
私にどんなふうに接するかを決めています。
 ・ ・ ・ それでいいんじゃないでしょうか。

ですから、他の人に対して、
「私にどんな態度をとるか」なんてこと、
「気にする」ってこと自体が不思議でして、
それほどまでに他人が信用できないんですか?
って、思っちゃいますね、私は。

でも、「他人にどう思われるか」ってことが、
すごく気になるという人が少なくないようで、
たぶん、それは、誰かから、
「ひどいめにあわされた」みたいな体験、
あったからじゃないかなあと想像します。

ところで、NHKドラマの再放送、
おしん」の116話ですが、
おしんの夫、竜三は、
故郷の佐賀に帰るつもりです。
それで、おしんは言います。
「私は嫌です!
 佐賀のお母様に、私は
 嫁と認めてもらっていない女なんでっす!」

竜三:「親父は認めてくれただろうが!」
おしん:「でも!」
竜三: 「いや! おふくろだって
  孫の雄はかわいんだよ!
  雄の母親ならかわいいに決まってるさ!」
おしん:「でも!」
竜三:「おしんの心がけ一つで、
  おふくろだって折れてもくれるし
  かわいがったってくれるんだ! 
  そういうもんなんだよ!
  ・ ・ ・ おしんが嫌なら、私と雄だけで帰る。
  どんなことしたって
  雄を連れて帰らにゃならん」
おしん:「あなた!」

それで、おしんの母(実母)は言います。
 「竜三さんについていけ。
 それが母親の務めだ。
 (中略)佐賀の本家へ行ったほうが、
 竜三さんのためにも雄のためにも
 いいんだがらな。辛抱しろ!
 雄のためにも辛抱しろ」

あのう、私の感想ですけど、
おしんとしては、結局、
「意に反すること」なんだけど、
「がまんして」佐賀に行くしかない、
気の毒な状況にあると思います。

私が思うに、竜三の母が、
おしんの心がけ一つで、おしんのことを、
 かわいがってくれる」ようになるなんて、
ありえないと思いますね。
それは、竜三の「思い違い」だと思います。