人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

尊重してもらえる幸せ

自分が他の人から、
「尊重して扱ってもらえる」としたら、
こんな幸せなことはないと思います。

それで、私ももちろんですけど、
人は誰だって、相手の人から見ればですね、
その相手に都合の良い点だけ持ってるとは、
とても言えませんね。

例えば私の容姿容貌が醜悪だとしたら、
相手は悪い気分になるかもしれませんし、
おいしいものを私が取って食べたら、
相手はそれが食べられなくなるとか、
もう、日常茶飯事において、
自分の存在が相手の迷惑になることって、
いっぱいあると思います。

・ ・ ・ というよりも、
私がこうして生きていること自体、
誰かの迷惑になってるってことも、
あるかもしれない ・ ・ ・ どころか、

何かしら相手の迷惑になることって、

あるんですよね、必ず。

再放送の連続ドラマ「おしん」だって、
佐賀の田倉家では、厄介者、邪魔者で、
お清からは、「いなくなって欲しい」と、
これでもか、これでもかと、毎日毎日、
意地悪に次ぐ意地悪、
虐待に次ぐ虐待を受けているおしんで、
ドラマだってことはわかってますけど、
それでも私は、見るにたえないです。

ところがところが、欠点の多い自分が、
とても良くしてもらえて、好かれて、
いっぱい親切も受けることができて、
品物も愛情もいっぱいもらえるとしたら、
とてもうれしいことだし、喜びだし、
幸せなことだと思いますけど、でも実際、
赤ちゃんの時も子どもの時も、さらに、
大人になっても、他の人から、
そういう恵みを受けてる人だって、
世の中にいっぱいいますし、それよりも、
人はそのようでなければならないんだと、
私は思います。

反対から言えば、人と接する時には、
心優しく、温かく、相手を尊重する態度、
それがすばらしい ・ ・ ・ というか、
そういうふうに生きることが幸せだと、
私は思います。