人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

虐待が溺愛に見える時

人を好きになれるって、
とってもすばらしいことで、
あの、何よりも、
人を好きになってる「自分の状態」が、
すごく幸せなんですよね。

でも、世の中には、
「人が好きになれない」人間が、
いるみたい ・ ・ ・ と言うよりは、
「いるのは確実」だと思う私でして、
それは、世間のいろんな人間関係を、
当事者としてではなく、客観的に、
「他人の目」から見られる立場なら、
他人事だからこそ、人間関係の真実が、
的確に見えちゃうのかも知れません。

さて、祖母と孫との関係なんですが、
祖母が孫を「嫌ってる」情況なのに、
その孫を自分の手元に置いて確保し、
自分専用の人間として囲い込み、
他の家族との人間関係を持たせずに、
一から十まで世話を焼くって事態が、
世の中には、実際にありましてね、
あの、テレビドラマ「おしん」の、
佐賀の姑であるお清も、おしんから、
孫を奪って「自分のものにしたい」、
そういう気持ちが描かれてましたね。

あの、私はですね、
ドラマのお清にしても、彼女は、
「孫に対する愛情」のために、
孫を手元に置くのではないってこと、
確信があります。

なぜなら、孫に対する愛情が、もし、
本当のものだったら、孫と母親が、
「幸せに暮らせるように」図るのが、
当然だからなんです。

したがって、もう絶対、
孫と母親(おしん)を分離するなど、
「するはずない」んですよね、もし、
「孫に対する愛情」があったならば。

さて、そうなるとですね、誰でも、
疑問に思うことがあると思います。
孫を「嫌ってる」としたら、わざわざ、
手元に置いて世話する理由って、
何なの? ・ ・ ・ ってことですね。

それで、私の推測というより、確信で、
「嫌いな人間(孫)」だからこそ、
思う存分に、容赦なく「虐待できる」、
それが、隠された理由だと思うんです。

特に ・ ・ ・ ですね、
姑としての自分が、「嫌悪」する嫁、
その大嫌いな嫁の子だとしたら、もう、
「思う存分」いじめ尽くせるという、
今日はまあ、ひどいことを書きますが、
でもそれ、的確な見方だと思います。

しかも、しかもですね、
「表面的には」溺愛するフリをして、
超絶的な巧妙さで虐待を隠蔽しちゃう、
魔性の祖母っていうのもいるんですね。
前回、孫を「溺愛してた」みたいに、
家族からも世間からも思われてた祖母が、
孫に恨まれて殺された事件のこと、
ちょっと触れましたけど、その場合も、
孫に対する「虐待」が続けられたのは、
もう、事実なんですけどね、でも、
「それは虐待である」という認識が、
当時は「無かった」んだと思います。

あの、話題が暗すぎましたから、
次回、この続きが書けるかどうかは、
今のところ、わかりません。