人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

虐待だけど溺愛に見える

親が子どもを溺愛するとか、
祖父母が孫を溺愛するなんてことは、
世間でよく聞く話だと思いますけど、
でも、それが、「愛情」じゃなくって、
実は、「虐待」になってるようなこと、
現実にあるんだってことでして、でも、
そういう話は、あんまり悲惨ですから、
今日はちょっと、書く気になれませんが、
そんなことを話題にする理由を言えば、
昨日まで書いてきたトップヲタだった人、
彼女の電話番号を聞いて、まあ、結局、
「断られた」んですけどね、じゃあ、
極度のショックを受けるかと思ったら、
「そうじゃない」自分だったそうでして、
そういう自分にショックを受けたと、
彼は言ってましたね。

ですから、人というものは、
「自分の気持ち」だと信じていても、
そうじゃなことがあるんだってことで、
全く不思議、不思議ですけどね、
「自分の本心」は、
自分が思ってることとは正反対だった
 ・ ・ ・ なんて、ミステリアス、
ミステリアスもミステリアス、でも、
「ミステリアス」では済まされない、
現実的に深刻な事実があると思って、
今日は話題に取り上げます。

さて、話を元に戻しますと、
トップヲタだった彼が言うには、彼が、
「トップヲタとして認められたこと」に、
喜びを感じてたってのがほんとのことで、
それを、彼女に対する「ガチ恋」だって、
錯覚してた ・ ・ ・ みたいなんですね。

つまり、彼は、ヲタク仲間にですね、
「すごいな」って認められることが、
実は、嬉しかったんだという真実に、
「気付いた」ってことみたいですね。

ああ、そうなのか ・ ・ ・ って、
私は思うところがありまして、たとえば、
昔の(今は消滅した)遊郭で、
男が大金を使ったというのも、
そういう心理だったのかなあって、
江戸時代などの風俗で、疑問点を考える、
一助となったことでしたが、今日は、
アイドルを「愛してる」と、
自分では確信してたのに、実は実は、
「そうじゃなかった」と気付いた事例で、
私はですね、親とか祖父母がですね、
「孫がかわいいくて愛してる」って、
本人はそう思っていてもですね、でも、
実際は子どもや孫を「虐待してる」、
あの、それ、ほんとのことでして、
現実にそういうことが起きてることを、
やっぱり、問題にしたいと思いまして、
次回も、その話題にしたいです。

あの、このブログは、
「良い人間関係」を話題にしますが、
世の中には、相手を虐待しながら、
「良い人間関係」だと錯覚してる人、
いますからね、私としては、
書かないではいられません、
悲惨な話題なんですけどね。

それで、次回、話題にしたいのは、
「溺愛してる」ように世間から見られ、
自分でも、子どもを「愛してる」と、
「信じてる」親とか祖父母がですね、
実は実は、子どもを虐待してるという、
 ・ ・ ・ いやあ、
恐ろしい話になってしまいましたけど。

で、この続き、次回に書けるかどうか、
今の段階では、わかりません。
あるいは ・ ・ ・ 書けないかも?
話題が陰惨すぎまして。