人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

虐待事件という不幸

昨日のテレビですが、
神戸の小学校で、男性教師が、
同僚の教師4人から
暴行や暴言などのいじめを、
継続的に受けてたってニュース、
私の感想ですが、今の学校って、
教師が児童生徒をいじめたら、
すぐに発覚するので、それで、
子どもをいじめることができず、
その代わりに、年下の同僚を、
いじめたのかなあと思いました。

別にねえ、学校の先生って、
「いじめてはいけない」と、
児童生徒に指導する立場だから、
自分ではいじめをしないなんて、
全く言えませんで、
カトリックの上位の聖職者だって、
児童に対して性的虐待をしてるの、
広く知られるようになりましたし、
親が子どもを虐待することだって、
普通に見られることなんですよね。

昨日までテレビでの報道が多かった、
船戸結愛ちゃんなんかは、養父から、
朝4時台に起きて勉強しろと言われ、
それができないと、シャワーで、
水をかけられたそうで、もし仮に、
結愛ちゃんが死ぬことなく、
養父を恐怖して必死で学習に励み、
仮に東京大学合格を果たしたなら、
養父の雄大被告は、
義理の娘を東大に進学させた、
立派な人という評価を、世間から、
受けることになる可能性も、
あるかなあと思いました、まあ、
仮定の、空想上の話ですけど。

世の中には、子どもを虐待しながら、
子どもを難関校に進学させ、
社会的にうらやましがられる職業に、
子どもを就かせる親というのが、
いっぱいいるだろうと想像しますし、
そうすると、「すばらしい親」だと、
社会的には「思われる」でしょうね。
実際には、子どもを虐待し続けた、
魔性の人間であってもです。

まあ、そんなことで、だからこそ、
社会的地位や肩書きなどと関係なく、
「心優しく、温かい人」ってのが、
ほんとうに幸せな人だってこと、
よけいに強く感じることです。