人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

虚栄を求める不幸

映画「さくらん」の中に、
次のようなセリフがあります。
「ありもしない中身を、
 あるようなフリをするなんて、
 みじめったらしくて、
 わっちゃあ、好かねえよ。」

そうですねえ、
ほんとにそうですねえ、
中身が無いからこそ、
「ある」フリをしなきゃなんない、
そのみじめさを思います。

また、主人公が続けて言います。
「どうせなら、中身があるのに、
 無いフリをするほうが、
 粋というもの。」

私の感覚では、
「あるのに無いフリをする」のは、
行き過ぎかなあとも思いますが、
でも、そうしてもいいですね。

このブログでは、社会的地位とか、
肩書き、世間的な評価なんてこと、
近頃は書いてきましたけど、
そういうものはみんな、結局は、
「どうでもいいこと」であって、
幸福とは関係ない・・・というか、
かえって、幸福の邪魔になるもので、
だから、立身出世を求めるとか、
まあ、当人がそれを求めるだけなら、
まだいいんですけどね、自分の子が、
「世の中から賞賛を受けなければ」
気がすまないなんて親になりますと、
子どもに与える悪影響が大きいと、
私は思います。

あの、やっぱり、人は、
自分が「このようであること」を、
心地よく感じ、好ましく思えて、
「いいなあ」って感覚で生きられる、
そういうのが、ほんとに幸せですね。