人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

愛を受け取れない不幸

前回、ドリアン助川の言葉を
紹介しましたけど、だいたい、
次のように言ってました。

子どもは、5歳、6歳までの間に、
親孝行しちゃってるというんです。
なぜなら、親のほうがですね、
『何てすばらしいもの
  授かったんだろう』って、
思ってるからだというわけです。

あの、子どもって、基本的に、
「親を愛してる」存在なんです。
そして親は、子どもの愛を、
「受け取る」のが普通ですし、
それが、幸福な親なんですね。

ところが、世の中には、
そんなふうに感じられない親が、
いると思います。

そういう親にとって、子どもは、
「迷惑な存在」なんですよね。
なぜなら、親に世話を焼かせ、
食事や衣料品などに金を使わせ、
泣いたり、要求ごとをするなど、
親を「困らせることばっかり」
するからなんです。

それなのに、親は、
「わがままばかり」の子に対して、
「ガマンと忍耐」の限りを尽くし、
「世話してやるばっかり」という、
損な役回りをさせられるんだと、
怒りと憎しみでいっぱいになる、
 ・ ・ ・ そういう感覚ってのは、
「異常」だと思いませんか?

でも、子どもを愛せない親って、
そんな感覚になってると思います。

だからこそ、子供のために、
「ひどいめにあわされてきた」
というわけですから、子どもから、
損害賠償してもらわなければ、
収支が合わないし、不当である、
 ・ ・ ・ という感覚、あの、
そういう感覚は異常ですけど、
でも、子どもを愛せない親って、
そんな異常性を持っていると、
私は思います。

それで、「損害賠償」ですからね、
非情に「むしり取ります」ね、
子どもから。

その「むしり取る」方法ですけど、
子どもを奴隷化して支配下に置き、
親の欲求を満たすための労働を、
強制的にさせるわけです。

あの、「労働」と書きましたけど、
社会的な意味での労働ではなく、
何事によらず、「親の要求」を、
子どもに押し付け、実行させる、
それを、「労働」と表現しました。

そうすると、子どもとしては、
家庭という「刑務所」に収監され、
「懲役刑」を受ける状況ですけど、
続きはまた次回以降に。

なお、「損害賠償」を待てない、
性急な親でしたら、もう直接、
虐待行為という形で、
子どもに怒りをぶつけ、
「わがままな子」に対して、
復讐すると思います。

あの、「おっぱいが欲しい」って、
泣くことでさえ、そういう親は、
「わがままで不当な要求」だと、
認定しますからね。
なにしろ親としては、
他にすることがあるというのに、
子どもはそんなことも考えずに、
「身勝手な要求」ばかりすると、
親のほうこそ、
「身勝手な」感覚なんですけどね。

「うるさい、
 ギャアギャア騒ぐな」ですよね。