人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

飾らなくてもよい幸せ

自分がどんな学校を卒業したか、
どんなことをして暮らしているか、
家族などの職業や肩書きは何か、
まあ、そういう類のことは、
全く話す必要がないし、また、
聞かれることもなくって、ただ、
「私自身」がどんな人間か、
それも、ただ、ありのままに居て、
何も飾らなくてよいし、
カッコ良くしなくていい人間関係、
そういうのが、一番好ましいし、
幸せな人間関係だと思います。

まあ、そういう人間関係の中で、
お互いに楽しく過ごせるってのは、
ほんとにいいものですねえ。

さて、
ステータスに頼る不幸ってことを、
前々回に書きましたけど、
世の中には、
他人からの「良い評価」を求め、
そのことで夢中になっちゃう人が、
いるみたいですね、少なからず。

 ・ ・ ・ というのは、私自身、
そういうタイプの人を、
たくさん見てきたからなんです。

ところで前回、自分の子が、
乳幼児の頃から大きくなるまで、
自分に奉仕し、献身することを求め、
子どもを虐待する親がいるってこと、
ちょっと書きましたが、今日は、
どんな虐待かってことの例を、
ちょっと書いてみたいです。

あの、27日には、肩書きや学歴が、
不幸の原因になることがあるって、
書いたんですけど、世間には、
子どもを「有名な学校」に進学させ、
また、「有名企業」に就職させたり、
例えばですけど、医師とか、
弁護士を目指させるみたいな親が、
ずいぶんいるように思われまして、
親からそんなふうに厳しく命令され、
まさに粉骨砕身、親の奴隷となって、
自分を犠牲にしてがんばったけれど、
「そうなれなくて」ですね、最後は、
廃人みたくなっちゃった人というの、
何人も知ってますからね、私は。

この「廃人」っていう言葉、私は、
ネトゲ廃人」ってことから知って、
ああ、そうなのねえ、現実の生活が、
それほどにつらく、苦しく、厳しく、
「どうしようもない」し、
耐え難いからこそ、
ネトゲにはまるしかないのねぇって、
ほんと、思いましたね。