人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

純粋な愛の幸福

ただただ相手が幸せであるように、
相手の人が喜べるように、
自分はそんなふうに行動するって、
相手を心から愛している人は、
そういう気持ちになる思います。

さて、再放送ドラマ「おしん」の、
151話なんですが、
健といっしょに住んでいる女性が、
おしんの家に乗り込んできますね。

健 :「お前!
 何しに来たんだ、こんなところへ。」

健の女 :「何しに来たはないだろう。
 ずっと前から
 おかしい、おかしいと思ってたら、
 やっぱりあんた、この女と。」
健 :「お前。」
健の女 :「あわてたって遅いよ。 
  あんた、この女と
 まるで夫婦じゃないか。
 ちくしょう、よくも、
 あたしって女がありながら
 こんな女と。」

また、おしんに向かって言います。
 「人の男を寝取りやがって。
 それも、
 露天商の権利が欲しいばっかりに
 色仕掛けで。
 あんた、あんたが、
 あんたが店出すために
 この人が、いくらお金使ったのか
 知ってんのかい。 
 知ってんのかい。
 仲間の連中説得するのに、
 毎晩毎晩酒飲ませて。」

健 :「黙れぇ! 俺はな、
 俺がおかみさんの力になりたくて
 やったことなんだ。
 おかみさんから
 何にも言われた訳じゃねえ。
 みんな俺が勝手にしたことだ。
 お前が考えてるようなことなんて、
 これっぽっちもありゃしねえや。」

健の女 : 「へえ、あんた、
 この女と何にもないのに、何もかも
 面倒見てやったって言うのかい。
 ふん、バカバカしい。
 どんな世の中に
 そんなバカな男がいるもんかい。
 きれいごと言ったって
 通りゃしないよ!」

健 :「男ってのはなぁ、
 本当に惚れた女には
 指一本触れねえだって、
 どんなことでもできるもんなんだ。
 力になれるだけで
 ありがてえんだよ。」

健の女 : 「よくもぬけぬけと。
 それじゃやっぱりあんた、
 この女に惚れてるんじゃないか。
 人をコケにしやがって。」

健 :「ああ、惚れて何が悪い。
 俺は惚れてるから、
 おかみさんの手だって
 握ったことはねえんだ。
 お前とは違うんだよ、
 おかみさんは。」

健の女 :「あー、そうかい。
 そりゃね、
 あたしはあんたにだまされて、
 女中代わりに
 こき使われてるだけの女だよ。
 でもあんた一人に
 尽くしてきたんだ。
 この女のように、
 亭主持ちのくせして
 他の男とおかしくなるなんて、
 そんなふしだらなまねは
 したことないよ!」

さて、私の感想ですけど、
自分が何かの利益を得ようなんて、
全く考えないばかりか、
自分が損することになっても、
相手のことだけを考えるという心情、
実際、そういう心情はありますし、
さらに、その愛する人のために、
自分がそれでひどいめにあうとか、
もっと極端なことを言えば、
愛する相手から、
傷つけられるような事態になっても、
それでも、喜んで「それでよい」と、
愛する人に対する至純な気持ちを、
貫き通すっていうような気持ちが、
人の心に起こってくることは、実際に、
あることでして、その気持ちや行為が、
「理解できるし、自分もそうする」
というタイプの、幸福な人がいる一方、
そういう心情など全く理解できないし、
そんなこと、現実にあるはずないと、
信じて疑わない不幸な人と、
人は、2種類に分けられると思います。