人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

相手の感情や気持ち

あの、「自分の感情や気持ち」を、
いつも自分で把握してるか?
・ ・ ・ って言ったら、
そんなことないんですよね。

小説とかドラマにだって、
「相手を恋する気持ち」を、
それは恋心だって気づけない場面が、
たびたび登場しますものね。

ましてや、ましてやです、
相手の感情や気持ちが分かるなんて、
ありっこないし、もっと言えば、
相手のほんとの気持ちというものは、
「想像もできない」というのが、
実態であろうと思う私です。

でも、いいんです、
それでいいんです、相手の気持ちを、
「知ることができない」実情でも。

相手の感情や気持ち分からなくても、
相手を「尊重し」、
相手が「喜べるように」することは、
いくらでもできるんですよね。

今、相手が「気分よく」いるとか、
「喜んでる」って言うことは、
相手の態度を見れば分かると、
私は思います。

ですから、相手が何を思ってるか、
「理解できない」ということは、
相手と良い関係を結ぶ上で、
全く問題にならないし、
何の障害にもならないんですよね。

そして、相手の雰囲気を感じて、
相手が楽しく過ごせるように、また、
自分も相手と一緒に喜べるように、
そういう態度をとっていくならば、
自分もまた、相手の人といっしょに、
喜ばしく過ごせるようになると、
私は思います。

ですけど、世の中では、
その正反対のことが起こってますね。
相手は「こうなんだ」と決めつけ、
相手を「支配しちゃう」ことですが、
テレビドラマ「おしん」でも、
同じ現象が見られますね。

たとえば、お清がそうでして、
おしんのことは全部分かってる」
つもりになって、
おしんはなぜそんなふうに行動するか、
甚だしく誤解、曲解してるわけでして、
もう、「自分の考えが正しい」と、
頭から信じて疑わない清なんですね。

でも、おしんは大人だから、
自分を誤解され、色眼鏡で見られ、
悪い嫁と決めつけられても、
まだまだ、被害は少ないと思います。
ドラマでは、あんなに悲惨であっても。

おしん」のこれからのドラマ展開は、
私は分かりませんが、たとえばですね、
おしんの子どもを、
仮に、お清が育てることになり、
お清が、子ども(孫)の気持ちを、
「分かっている」つもりになったら、
さあ、悲劇 ・ ・ ・ どころか、
惨劇が起こると思うんですけど、
そういう話はまた、そのうちに。