人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

遠藤周作を読んで(第4回)

キリスト教のことを知らない私でしたが
「影法師」という小説を読んで、
神父というものは、女性と関わったり、ましてや、
結婚なんて「できない」立場なのだと知りました。

あの、キリスト教徒の方にはごめんなさい、
私には、男が女性を求めたり、
女が男性を求めることって、
「良いことじゃないか」って思われるんです。

「母なるもの 」という小説には、
かくれ切支丹の村で見た修道女が登場し、
「生涯を独身で奉仕に身を捧げる」と書いてありましたが、
・・・まあ、その人が自ら選んだ人生なので、
他人がとやかく言うことはできないわけですけど、
神父や修道女の道を選ぶなんてことは、
私にはできそうもありません。

ですからここにも、
「私の知らない世界、理解できない生き方」って、
厳然として「ある」わけで、
もちろん、
「自分が理解できない」ことだから「ダメ」っていうんじゃなく、
自分には「理解できない世界」や「価値」があるんだろうってことで、
だから、「自分が考えている世界」って、
ずいぶん限定的で狭いものなんだと思うことです。

でも、異性を好きになることが禁じられる立場には、
私なら、なりたくないですね。

ということで、
自分は井の中の蛙だってことがよく分かったことですが、
「影法師」という小説には、
結婚した神父が登場しますから、
次回はそういうことに関連して感想を書きたいです。