人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

互いに「尊重できる」のが幸せ

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昨日、Yahoo Japan のトップページに、
「親ガチャは言い訳か  若者の現実」という題を見つけたので読んでみましたが、
以下に、その一部を引用します。
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「親ガチャ」とはつまり、
どのような親のもとに生まれてくるかによって
人生が決まってしまうという意味で使用されている。

高い教育費は、
子どもを投資の対象としてみなす傾向を強める。
つまり、教育費を投資することによって
将来のリターンを期待する関係がつくられるのだ。

これを背景に起こってくるのが「教育虐待」と言われる問題だ。
「あなたの将来のためだから」という理由で、
人生の早い段階から受験競争へと巻き込まれていくことが典型だ。

良い成績をとらなければ親から人格を否定される。
親に認められるためにとにかく良い成績をとるように努力をしていく
・・・このプロセスのなかで
親の支配が強まっていくことになる。

親側の「自負心」から、
親の希望する学歴、職業から、結婚観まで
押し付けるといったことが生じる。
その結果が、次のような発言となって現れてしまう。
「これだけあなたに投資してきたのだから、
 親の言うことを聞くのは当たり前。」
「なんであなたは
 親がしてあげた分にこたえようとしないの?」
「あなたにつくしてきた私(親)は本当に不幸。
 私が不幸なのはすべてあなたのせい。」

テレビドラマに出てきそうな発言であるが、
このようなことを子供に投げかける親は実在する。
毒親」の身勝手によって精神疾患を患い、
相談に訪れる方は非常に多いのが現実だ。
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前回は3歳児が湯をかけられて死亡した話でしたが、
今度は、若い世代の受難の物語ですねェ!

私の感想ですが、そういう若者たちの悲劇って、
親から「尊重されてこなかった」
というころにあるんだろうと思ったことです。

それで、たとえばですね、
親は学費などで多額の金を使い、
必死の思いで私に関わり、育ててくれた。
だから私は、親に愛されてきた幸せ者だ
・・・っていうふうには、
ならないんですよねェ、この話。

なぜ?
・・・って言ったら、親がしたことってのは、
「子どもの幸せ」という偽装の看板を掛けつつ、
「親の都合を満たす」ことが隠れた目的であって、
親が子供に深く「立ち入って」くればくるほど、
子どもを苦しめることになるんですが、結局それは、
子どもの主体性を引きはがし、
子どもを「奴隷」化することであり、あるいは、
親の「操り人形にする」ことだと思うからです。

そういうのって、子どもであっても
「一人の人間」として親と同格であり、
親と同じ「尊厳を持つ」存在であるということを、
親が考えられない状況にあるからこそ、
発生する悲劇だというふうに私は思うことです。

あの、人というのは、年齢の差によらず、
親とか子とか、立場が上とか下とかにもよらず、
もちろん、男女の違い、体格、才能の違いその他、
いろいろな個人的差異なんかにもよらず、
誰もが「尊厳を持つ一人の人間」として、
尊ばれる存在なんですよねえ。

なお、今日の添付写真ですけど、
前回掲載した添付写真の右上部分の様子を、
クローズアップして撮り直したものです。