人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

助けてもらえるありがたさ

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前回の続きを書く予定でしたが、
湯をかけられて死んだ3歳児のニュースを見ましたから、
そのことをちょっとだけ。

虐待されていたその子(桜利斗ちゃん)について、
桜利斗ちゃんの母親の知人は、言ったそうです。
「私たちが帰ろうとしたら桜利斗ちゃんも靴をはいて
 一緒に出てくるんです。
 すごく『行きたい行きたい』みたいな感じで。
 SOSだったのか、
 『助けて』という感じやったんやろな。
 あざが何個も見られたりとか。
 『たっくん(松原容疑者)、いや、
  たっくん、いや』って
 最後らへんは言い続けていたみたいなので。
 口癖でしたよ『たっくん、いや』
 『たっくん、いや』って」
(以上、フジテレビ系列ニュース)

桜利斗ちゃんは、
「助けを求めていた」んだって思いましたね、
 虐待されて嫌な「たっくん」との関係から、
 自分を救い出して欲しい・・・って。

さて、世の中には、ですね、
「助けを求められる」ような人が誰もいないという、
超苛烈な人生を生きるしかない人もいるんですけど、
桜利斗ちゃんの場合、
必死の思いで助けを求めた人が何人かいたようで、
その人が摂津市に虐待を通報してくれたようです。
(結果としては、通報したにもかかわらず、
 桜利斗ちゃんが虐待から助け出されることは、
 なかったんですけどね。)

自分ではどうすることもできない絶体絶命の場合など、
「助けられる」ってことほどありがたいことはないと、
私は思いまして、
だから「人を助ける」って、
必要だし、大切なことだし、
そうしなきゃいけないと思うんですけどね、
私自身は「関り合いになるとひどい目にあう」恐怖で、
助けることをしなかったことがありまして、
でも、自分が困ってひどい状態にある時は、
「助けてもらいたい」って、ほんとに思いますよね。