人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

肩書きに惑わされない(6)

ずいぶん前の話ですけど、
茶道で正月のお菓子をいただく作法につて、
友人から聞きました。
なんでも、お菓子を「どっち向きにするか」で、
騒動・・・と言ったら言い過ぎですけど、
混乱が生じたんだそうです。

どうやら、
お菓子の「向き」が問題になったみたいで、
お茶の先生としては、
「ゆるがせにできない」ことかもしれませんけど、
茶道と無関係の人にとっては、
「何それ?」って程度の話でしょうかね。

まあ、一般市民「その他大勢」にとっては、
お菓子の「向き」をどうするかなんて、
「気にも留めない」ことと思いますけど、
お茶の先生は「先生」という肩書きがあるし、
お茶の免状を持っているような方々もまた、
立場上、
「どうでもいい」では済まされないのだろうと
推測しました。

してみると、「〇〇流に所属してる」って、
ある面では自分の「権威付け」にもなりますけど、
半面、「〇〇流に反すること」はできないわけで、
つまり、「拘束を受ける」ってことですよね。

そうしますと、
「自分がしたいように」はできないわけで、また、
「自分はこう思います」なんてことも、
言えなくなると思うんですが、
続きは次回にしたいと思います。