恐怖しなくていい幸福
前回の続きを書きます。
今度は、ある男性の発言です。
今度は、ある男性の発言です。
「人間の場合は、
裏に何があるんだろうな?
・ ・ ・ って!
自分もそうだから、
何か、こう、
素直になりづらい。」
裏に何があるんだろうな?
・ ・ ・ って!
自分もそうだから、
何か、こう、
素直になりづらい。」
ああ、そうなんですか ・ ・ ・ と、
私は思いました。
そして、とても学びになりました。
私は思いました。
そして、とても学びになりました。
それは、
他人に対するときの自分の心には
「裏がある」と自覚している人は、
「他人もまた」自分と同じように、
対人関係の場で、
「心には表裏がある」と考えている
ということではないでしょうか。
他人に対するときの自分の心には
「裏がある」と自覚している人は、
「他人もまた」自分と同じように、
対人関係の場で、
「心には表裏がある」と考えている
ということではないでしょうか。
でも、私がそんなふうに言うのは、
心に表裏がある人を責めてるわけでありません、
非難するわけではありません。
心に表裏がある人を責めてるわけでありません、
非難するわけではありません。
そうではなくってですね、
人に対する時に、自分の本心に反して、
「相手の耳に心地よい言葉」を発したり、
「相手を気持ちよくさせる態度」をとるのは、
そうしないと、
「ひどいめにあわされた過去の痛み」から、
未だに解放されてないからじゃないか?
・ ・ ・ なんて、
まあ、それ、私の勝手な空想ですけどね。
人に対する時に、自分の本心に反して、
「相手の耳に心地よい言葉」を発したり、
「相手を気持ちよくさせる態度」をとるのは、
そうしないと、
「ひどいめにあわされた過去の痛み」から、
未だに解放されてないからじゃないか?
・ ・ ・ なんて、
まあ、それ、私の勝手な空想ですけどね。
だからこそ、「自分のそのままが出せる」、
つまり、自分が素のままでいられるって、
何と幸せなことかと、改めて思いました。
つまり、自分が素のままでいられるって、
何と幸せなことかと、改めて思いました。
そういうことって、
他の人に対する恐怖を持っていたら、
できないことですものね。
他の人に対する恐怖を持っていたら、
できないことですものね。