人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

値引き品が買えない人(2)

前回引用した文章の中で、
私が一番問題個所だと思うのは、
「『何品もかごに入れて恥ずかしい。
一緒にいる俺の身にもなってくれよ』
と言われました。」という部分です。

あの、
商品を買い物カゴに入れたのは、
彼女であって、
いっしょにいた彼ではありません。

また、その商品を選んだのは彼女であって、
彼ではありません。

つまり、
彼女がそういう商品をカゴに入れたのは、
「彼女の考えで彼女がした」ことであって、
彼とは「関係が無い」ことなんですよね。

そのように、彼女とは無関係の彼が、
彼女の自主的行為に対して、
「恥ずかしい」と感じるという、
そういう感覚が理解できません。

たとえば、自分(✕)とは異なる人間(Y)が、
その人(Y)の価値観に基づいて行う行為を、
その人とは異なる私(✕)が
「恥ずかしい」と感じること、
さらにまた、他の人間(Y)の行為に対して、
「俺の身にもなってくれよ」と
「要求する」・・・ようなことは、
それ、「他人(Y)」が
「自分(✕)の思いどおり」でないと
許せないって心情じゃないですか!

どうしてそこまで他人を支配しようとし、
束縛し、
コントロールしないと気が済まないの?

そいうのって理解できない心情でして、
私だったら、そういう人(✕)には
「近寄りたくない」し、
さきほどは、試しに、
自分がそういう人(✕)だったとしたら
・・・という仮定で考えてみたんですけど、
自分がそういう人だったとしたら、
自分自身が気持ち悪いです。

このブログは「人間関係の喜び」ですけど、
今日話題にした彼には、
彼女と人間関係を結ぶ喜びが、
感じられないんじゃないかと思ったことです。

この続きはまた次回にします。